1995年11月 ロンドン禅堂
 
 今年の九月中旬、十日間ほどイギリスへ行ってきた。今回友人のポール氏が念願かなって新たに禅堂を作ったため、その開単式と記念の接心を行うというのが目的であった。場所はロンドン郊外の大きな公園に隣接するハムステッドヒースという、緑豊かな高級住宅街の一角にある。新装成った禅堂からは彼の深い思いが感じられ、小さいながらもカチッとした大変雰囲気の良いものであった。
 今から二十年以上も前のことになる。私がまだ雲水修行中のある日突然、日本語も全く喋れない一人のイギリス青年が道場にやって来た。当時二十五、六才であったこの青年は爾来数年間を共に修行することになった。彼は日本人でさえ一、二年で尻尾を巻いて帰ってしまう道場の修行を、言葉や食事や生活習慣の違いなどという多くのハンディーをものともせずに頑張りぬいた。その努力には誰もが頭の下がる思いであった。やがて彼は思 ぅところがあったのか、一応の区切りを付けて帰国して行った。
 その後私も寺の住職となり、時折り手紙のやり取りをする程度のお付き合いのまま十数年の歳月が流れた。ところが昨年ひょんなことから夫婦で日本にやって来るということになった。彼の奥さんは日本人で、私は結婚以前から知っていた方でもあり親しみもあったので、是非私の寺に逗留されたら如何ですかと言うと、そうさせて項きますという運びになった。久し振りに合った彼は仕草や喋り方は昔のままながら、髪はすっかり薄くなって 否応なく長い年月の経過を感じさせられた。三週間の滞在中、私達は空白を埋めるように語り合い、彼ら夫婦のロンドンでの暮らし振りについてもいろいろと聞いた。
 それによると帰国して直ぐ、骨董屋を始めたそうだ。しかし店舗も資金も何もない、全く無一文からの出発だったので、当初はその日の糧にも不自由するという有様であった。ご存じの通りイギリスは大変骨董市の盛んな所で、私も今回の旅では土曜日ごとに開かれるポートビルの蚤の市に行って来た。約七、八百メートル四方の所に何千軒もの店が所狭しとならび、そこにどっと繰りだした人の波が押し合いへし合いしている。更にその雑 踏の中では大道芸人が音楽を奏で、怪しげな曲芸を披露しては行き交う人からなにがしかの小銭を恵んでもらおうとする、賑やかな事この上ない所でもある。
 当初彼もこの一角に僅かなスペースを借りて商売を始めたのだという。しかし何日通っても商品は一つとて売れず、がっくり肩を落としては家路に着くという日々の連続だった。こんなことの繰り返しではいつか日干しになると思ったそうだ。そしてしょせんは塵芥の山のなかに埋没してゆくより外に路はないのかという断崖絶壁の局面にまで立ち到った。そこから何とか活路を見出さなければと考 え抜いた挙げ句に、まず中国明、清代の陶器に的を絞り、徹底的にその鑑識眼を養うことを始めた。そんなある時オークションの会場で悟るところあって、自分がこれから骨董屋として生き残って行く方法を思いついた。要するに欲しがっている人にぴったり合う商品を別の骨董屋で見付けて来て、その橋渡しをすることでなにがしのマージンを稼ぐというやり方である。これならたとえ一銭の元手が なくとも商売として成り立つと考えたわけである。
 ある骨董屋が明代の皿を探していると知り、別の骨董屋で要望通りのものを探し出した。そこでこの商人に掛け合い、もし五十ポンド以上で売ってきた時は儲けは折半と約束した後、早速件の骨董屋に行くと、交渉の結果五十六ポンドで売れたという。そこで儲けの半分の三ポンドを手に入れることが出来た訳だ。三ポンドといえば日本円にして数百円にも成らぬ程のちっぽけな額だが、この三ポン ドは彼の編み出した方法が商売として成り立つことの証明であり、生涯忘れることの出来ないものになったとしみじみ語っていた。

 こうしてその後も徐々に信用を高めコツも覚え、年間の利益も一千万円を越える程までになったり 現在彼はロンドンの中心街に小さい乍らも家を持ち、その上、更にもう一軒、坐禅修行の為の家まで購入することが出来るまでに成ったのである。彼は今迄何度かロンドン市内各所の坐禅会に足を運び参加してはみたものの、どれも自分が日本で体験した坐禅に比べて物足りなさは拭い去れなかったという。それならばいっそ自分で禅堂を建ててしまおうと思い付き、十数年の悲願が実っ て今回の開単に漕ぎ着いたわけである。日本から遠く離れたイギリスで、本来なら一番坐禅修行には縁の薄い処で在りながらも、自らの数年の修行をいつまでも忘れずに大切に温め、正しい禅を広めたいと願った彼の志の深さには唯々頭の下がる思いであった。

 

 

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