禅堂内の生活は朝から晩まできっちり管理され、すべて団体行動である。分刻みで日程が消化され、凡そプライベイトな時間などというものは無い。一人切りになれるのはトイレの中だけというわけである。こうして一定期間この様な生活をして、我が家に帰ると自分の自由な時間が持てるという有り難さを知る。我々は時間にただ流されて、本当に自分のために使い切ってはいないのだ。禅堂生活 を通して目に見えない時間というものを見、時間に飢えるということを学ぶ。こうして人生をただ漫然と送るのではなく、主体的に生きるとはどういうことなのかを知るのである。このように日常生活の万般にわたって一度徹底的に何も無い ″という経験をしなければ人は駄目になる。そこから初めてあらゆる事柄の本質が見えてくる。物が豊かになり、日常が極めて快適で便利になったということは、実はその裏では大切な、人間が生きることの価値を見失っていることでもあるの だ。本当の意味の豊かさとは何かを、お互いにもう一度考え直してみては如何だろうか。 |