禅の修行ではよく赤子のような生まれたままの無垢な心境になれ“という。ではどんなに苦労した大人より赤子が最高の精神を極めた者と言えるのだろうか。純粋ということは裏を返せば脆くはかないということでもある。従って少しの逆境に遭っても、忽ちのうちにそんな純粋さは消し飛んでしまう。鍛えて鍛えて鍛え上げ、地獄のような苦しみの中から自らの努力と辛抱で得たものは強く、そうでなければ本当に無垢な心境を維持して 行くことは不可能なのだ。彼の今の苦しみがいつ迄続くのかは分からない。しかし必ず何時か、お母さんと心が通じ合う日がやってくると信じている。なぜなら彼は誰よりも人の心の優しさを感ずることの出来る深い愛情を持った人だからだ。今我々の周囲には有り余る程の親の愛を受けながらも、自立心や、思いやりのない若者をよく見かける。真の愛情とはそんな野放図なものではなく、冷たく厳しく、与える側も受ける側もぎりぎりの処で相い闘うものではないだろうか。 |