まさに道草こそが人生そのものなのである。我々は小さい時から成長すること、進歩すること、豊かになること、それが人生を積極的に生きることであり善だと教え込まれてきた。しかし逆に進歩しない、失敗して遠回りするという、極めて効率の悪い人生を歩むこともまた同様の価値が見いだせるのではな いだろうか。禅の修行でも「無駄骨を折れ!」と言う。与えられた公案の答えを早く出したからといってその者が良い修行をしたことにはならない。むしろ大いに迷ったほうが良いのである。見知らぬ土地で道に迷うのと同様で、それだけ時間は掛かったかもしれないがより広い範囲を知ることが出来た訳である。ここらで一つ道草をしてみたら又新しい眼が開けるのではなかろうか。 |