次に彼の還俗についてであるが、私はこう考えている。宗教者の本来あるべき姿とは自分が仏法に生きることに他ならない。どこまでも依って立っているところは″法″であり、もしそれを捨てて、こっちの方が効率的だから良いとか、ましてや法衣は作業に邪魔だというような考えであっさりと脱ぎ捨ててしまうのは本末転倒という外ない。慈悲とは深い仏教精神から醸しだされる止むに止まれぬ 僧としての行(ぎょう)だ。彼にはもう一度何故自分は出家したのか、何の為に生きるのか原点に戻って問い直してもらいたい。折角尊い仏縁に恵まれながらそれを充分生かしきれず、上座部仏教僧としての法衣をあっさり脱ぎ去ってしまうのは何とも残念なことである。いや彼ばかりではない。我々もしっかりとした法を拠り処に、真の宗教者として生きているか否かを常に厳しく問い直されている ことを肝に命ずべきなのである。 |