1999年3月 出家
 
 私は十八才の時出家した。そう言うと大 抵の人は、よくもまあそんな若い時に出家などとお考えになりましたねえと関心を示す。そして何故出家に至ったのか、そこの処を伺いたいと言う。確かに若い時は若者らしい楽しい事に興味を持つのが当り前なのに世間を離れ、山中深く籠り一生修行と云う生き方を選択するとは、一体どうなっているのだろうかと興味を抱くのだろう。ところが私にとっては禅僧となって修行の道に入ることがごく自然だったのである。
 強いて言えば大半の者が何の疑問も持たずに、引かれたレールのまま大学進学に向かい、ひた走りしたのに対し、私はその既存のレールに漫然と乗ることに大いなる疑問を持ったことだ。何故学問をするのだろうかと考えたのである。それは結局世間的に良い大学に入るためだ。
では何故そんなに良い大学を求めるのだろうか。それは一流企業に就職する為である。では誰もが何故そんなにまでして 一流企業へ就職したがるのだろう。将来的にも安定した生活が保障されるからであろう。安定した生活を求めるのは何故か。それは高収入が確実に保障されれば良い結婚相手にも恵まれて、幸せな家庭を築くことが出来ると考えているからである。このように展開して行く人生を追求していった結果、私はとどのつまり人間は死んでゆくのだという結論に達した。人生はその中間がどんなに幸福に満ち足りたものであっても、結局最後には死が 待っているだけのものなのだ。この考えに至ったとき、私の心には何かポッカリと穴が開いて、そこを暗く冷たい風が吹き抜け、癒しがたい虚しさに襲われた。一生懸命頑張って勉強したところでその先をずっと辿っていったら、結局死しかないとは何と淋しいことだろうか。先に光明があればこそ努力もし、苦しさも乗り越えられるというものだ。この結論を得た時、私は学問を続ける意欲を全く失 ってしまった。
 一体どうすれば良いのか、悶々とした焦燥の日々を送る中から宗教に依ればこの苦しみから抜け出すことが出来るのではないかと思い始めた。そこで早速書店に行き、一般者を対象にした宗教書を読みあさったところ、鈴木大拙氏の何冊かの本が心の中に染み入るようだった。読み終える頃には、よし!禅僧となって一生修行して生きるぞ、そう考えていた。親の反対はあったが、余りに凝り固まり、思い詰めた私をみると、結局最後は親も 負け、みとめざるを得なくなり不承不承私を送り出してくれた。これが弱冠十八才の一人の禅僧の旅立ちであった。
 しかし此れ程までの決心も、何とたった一年も経つか経たぬかのうちにガラガラと崩れ去ってしまった。というのも私が書物を通して描いていた禅僧の世界と、現実のものとが全く違っていたからである。このままではもうとても頑張ってはゆけぬと判断し思案の末、師匠に相談した。一年間考え続けた幾つかの苦衷を正直に打ち明けると、師匠は思いの外あっさりと認めてくれた。「お前の言う通りだ。禅僧を辞めるのにも反対はしない。大体、十八才の若造がやれ出家だ修行だなどと 言っても、そんなものは“薬罐道心”で瞬く間に冷めてしまうに決まっている。何時そう言い出すか待っていたくらいのものだ。儂も大いに賛成!やめろ、やめろ!ただ一つだけ言っておくが、お前が出家すると言い出してこうして今日まで何人もの人の労を煩わしている。そういう人達にはお前から一人一人、きちんと事情を説明し、納得してもらってから辞めろ。それが人としての道だ。」これが師匠の言葉であった。優しく慰め励まして くれるかも知れないという淡い期待はこの時もろくも崩れ去った。一晩中まんじりともせず考えた。これから先どうすれば良いのか。その時ふっと心をよぎるものがあった。それは真実頼れるのは自分だけ!つまり親の元を離れ出家したということは、これから何が あろうとも、もう誰一人として自分を助けてはくれないということだ。

もう二度と人を頼りにすまいと思った。どんな辛いことがあっても、自分には此処にしがみついて頑張るしか他に場所はないのだ。今にして思えばこの瞬間こそが私にとっての本当の出家だったのである。爾来十数年の修行中何度も挫折と克服を繰り返し、その度に私は何故出家したのかという自問をしてきた。両親共、特別信心深いということはなかったし、周囲にも私 を寺に結びつけるようなものはなかった。 そういう環境の中で生まれ育った私が不思議にもこんなに深い仏縁に結ばれたのである。我々は知らず知らずの内に先祖伝来脈々と受け継がれて来た何かをそれぞれ持ち合わせているのではないだろうか。そこには、私という小さな存在を越えた大いなるものの力を感じる。結局私の出家もそういう処から成るべくして成ったのではないかと今感じている。

 

 

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