雲水修行と居士修行をこの様な例を引いて比較するのはいささか極端かもしれないが、大接心の時だけちょこちょことやって来て、雲水(うんすい)が汗水垂らして作った食事を、客として上げ膳据え膳で食する。勿論禅堂で共に坐禅も組むわけだが、これとても一日のある限られた時間帯一緒にするという程度である。基本的には何処までもお客さん修行に変わりはない。私も雲水時代経験した ことだが、新到(しんとう)の頃など大接心中はまるで直日(じきじつ)や助警(じょけい)の実験台のようなものである。警策で徹底的に叩かれ背骨を挟んで両方は腫れあがり、満足に両手も上げられない程になる。こんなことも雲水だけで、決して居士さん達にはない。対する師家の方も、在家の人だからという気持ちが何処かにあって、万事に扱いは甘くなる。プロを育てるのとアマチュアーの 違いのようなものである。(つづく) |