多分あの時、門前の小父さんの熱心な 得が無かったら、彼はお坊さんに成ることは無かっただろう。例え成ったとしても、あの猛烈舎監に逢わなかったら、本当の禅僧とは何かを識ることも無かっただろう。思えば誠に不思議な縁によって、彼はこういう人生に導かれていったのである。
人には様々な巡り合いがあって、自分をあるべきように導き、人生を過たぬように助けて呉れるのである。奇しくも此の二人の人達に巡り合い触発されて、それまでは考えもしなかった新しい人生が展開していったのである。例え短い果ない人生であっても、真実の生き方を垣間見ることが出来た彼の人生は、決して悔いないと、私は思うのである。 |