そこでまずタイへ渡りバンコックのワットバクナムという僧院で修行生活に入り、一年半ほど修行いている間に漸く伝手を得、プノンペンに入ることが出来た。ところがプノンペンに辿り着いたといっても特別頼るべき人もない訳だから全くの自力で、かっての念願通り村々を訪ねてはうずたかく積み上げられた骸骨に供養のお経を上げる毎日を続けていた。
そんな日々を過ごすうち、やがて死んだ人の供養もいいが、今生きているカンボジヤの人達の為にも何か役に立ちたいと思うようになった。カンボジヤでは教育も福祉も、はては道路を作ったり橋を架けたりというようなことまで、何事もお寺が中心になって事を進めるという。そこで何とか有力な寺院を伝手にできないかと探すうちに、ワットウナロームという、現在カンボジヤ仏教会の本部が置 かれている寺に入ることが出来た。
この寺はプノンペン市内のほぼ中心に位置し、広い境内には大小様々な建物が所狭しと建っており、地元の人も観光客も盛んにお参りしている。彼が案内してくれたのは境内の一角に建てられたコンクリート三階建ての建物で一階は食堂、二階は図書館、三階は宿舎になっている。ここで彼は戦争で親をなくしたり、向学心は有っても貧しい為に学校へ行けないという子供たちを引き取り面倒を見ている。現在八名程居るがこの子供たちに食 べさせ学校に遣っても一カ月凡そ三万円で済むのだそうだ。日本の貨幣価値からすると本当に僅かな費用でこれだけのことが出来るのである。しかしその資金を現地で調達することは難しく、その為に一年に一辺日本に帰ってきては、この活動の支援者に協力を仰ぎ、何とか一年分を賄っているという訳である。
また二年前、彼は京都仏教会と真言宗の支援を得て、仏教学院という学校まで建てた。そこでは今約二百人の学生が勉強しているという。ところが勉強する為の本がないので、一冊だけ買って来ては、一階の印刷所で必要な部数を皆お坊さん達が作っているというのである。そこも見せて項いたが、道具は粗末ながら本の出来栄えはとても素人とは思えない程であった。
又日本語学校も開き、地元の子供達や一般の大人にも教えている。今回折角お訪ねするので何か必要なものがあれば持ってゆく旨申し上げると、それでは子供達に絵本をお願いしますというので、皆で一冊ずつ持参して図書館に寄贈した。その他木工所もあって、必要な机や椅子、書棚に至るまで手製で作っている。ともかく無い無い尽くしで、何もかも自力で調達しなければ始まらないのだ。便利な生活が当たり前になった日本では到底考 えられないようなことばかりで、それだけに一層渋井師の苦労が偲ばれた。
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