これからパクナムに戻れば再び尼僧修行が始まる訳で、次は 何時会えるか分からない。いやもうこれが最後の別れになるかもしれない。私はアムナイさんのこれから先の人生が幸せであることを心から祈った。餞別と言っても特別差し上げるものもなかったので、咄嵯に何時もずた袋に入れて持ち歩いていた念珠を紙に包んで差し上げた。途端に彼女は涙をぽろぽろと流して、「アリガトウゴザイマス。」 と言った。まだ充分ではない日本語であったが心がし みじみと伝わってくるような言葉だった。
こんな悲しい別れがあってから凡そ二年程経った頃、アムナイさんは今はもう尼僧さんを辞めて還俗し、美容師の見習いとして働いているという話を聞いた。あんなに真面目で頭も良い人だったのに、あっさり還俗してしまうとは、一体どういう事なのだろうかと思い力が抜けてしまった。というのも将来はタイと日本の仏教を繋ぐ懸け橋になって活躍して欲しいと期待していただけに大変なショ ックだったのだ。
朝六時すぎホテルの私の部屋に電話があった。久しぶりに聞くアムナイさんの声はとても元気そうだった。本当に会えるのが嬉しいという気持ちが伝わってきた。ワットバクナムで落ち合うことにした。我々一行が寺の船着場から細い路を歩きだすと直ぐに、「老師さま!」という声がし、見ると髪を奇麗に束ね薄茶のブラウスに黒のスカート姿の女性が佇んでいた。じっと顔を見つめた後、やっと 彼女だと分かった。路地を抜けると直ぐに寺の境内に入った。境内は参拝客で溢れ返っている。本堂では丁度住職の法話の最中で、広いお堂の内外はぎっしりと人で埋まり、皆真剣な面持ちで聞いている。暫く待っていると住職の法話も終わったので皆で般若心経一巻を誦し、その後境内の各建物を順次参拝してパクナムを辞した。アムナイさんも我々のバスに同乗して次の見学地へ向かった。車中隣 合わせに坐ると直ぐハンドバックから奇麗なハンカチを取り出し、大切そうに包んであるものを私に示した。「私のお守りです。」そう言ってぽろぽろと涙をこぼした三年前日本での別れの時に私が立派な尼僧に成るようにとの願いを込めて贈った念珠であった。それが今は在家姿のアムナイさんのお守りになっていた。今の暮らし振りや仕事のことをいろ いろ聞いているうちに、少しづづ彼女の方から現在の心境について話しだした。そこで初めて分かったのだが、タイの尼僧というのは正式なお坊さんには成れないのだそうで、結局は一生男僧の雑用係を務めることで終わるというのである。国が違えばものの考え方も違う。まして上座部仏教の場合は日本の大乗仏教とは根本的に違う。内部にはまだ複雑な事情もある様で、彼女なりに考え抜いて決め たであろうことが窺えた。こういう迷いは何もアムナイさんばかりではない。
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