特に冬場は出発の頃になっても、まだ外は真っ暗闇である。田舎道に街灯など有るわけもなく、又方向によっては直ぐに山越えをしなければならない。先頭を歩く者だけが懐中電灯を使い、後は暗闇の中、目を凝らすと微かに見える前を歩く者の脚絆の白い影だけが頼りで、もしここで遅れたらえらいことだと必死になって歩いた。これが又やたらに早い。後に続く者はまるで飛ぶような駆け足になった。中でも困るのは途中で草鞋がぼろぼろになってどうしても履き替えなければならなくなった時である。先頭を行く引き手の者なら一端全員を止めて履き替えられるが、後の者のためには誰も待っていては呉れない。そこで目にも止まらぬ速さで履き替え必死になって後を追い掛ける か、もしくはそのまま辛抱して裸足同様で歩くか何れしかない。特に同方向に別の組があると道が同じになるため、引き手同志が競争になって抜きつ抜かれつのデットヒートを展開することになる。後に続く者はたまったものではない。息を切らし歯を食いしばって、兎も角遅れないように必死に付いて行った。二十キロを二時間半で走破したとか、こっちは二時間二十分の壁を破ったとか、今から思うと何と馬鹿なことに血道を上げていたのかと可笑しくなる。しかし僧堂生活には他に何もないから、煮えたぎるような若さをこんなところで燃焼させていたのだ。托鉢では途中何度も草鞋を履き替え、小さく丸めてそっと道端に置いて行く。藁だからやがて土に還ってゆくので公害にはならないが、そういう破れ草鞋が道端に点々と打ち捨てられていた。
神淵という所へ托鉢に出掛けた時こんなことがあった。そこは間見峠という大きな峠を越えて漸く集落に入る。一日托鉢を済ませ午後再びその峠に差し掛ったとき、背後から「おっさまー」という老婆の声。振り返ると新しい草鞋を握って追い掛けて来た。朝田圃を見回ったとき古草鞋が畦に捨ててあった。「きっとこのおっさまは裸足で歩いているに違いない。」と急ぎ我が家に帰り早速草鞋を作って、じっと帰りを待っていてくれたらしいのだ。その時も履き替え用を持って行ったので、裸足で歩いた訳ではなかったのだが、しかしこの時の老婆の優しさはいつまでも心に残った。打ち捨てられた草鞋でも人の心を動かす機縁ととなるのだ。
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