2000年9月 お稽古
 
 私の寺では以前、毎年秋に或る会社の茶道部がお茶会を催していた。「和尚さんには最初に一服差し上げたいと思いますのでどうぞ御出で下さい。」 と言われ正席に坐らされた。実は私はお茶については全くの無知で、どうして良いのかさっぱり分からなかった。禅僧なら少しぐらいの作法は知っているのが常識と思われるか知らないが、坐禅と掃除は得意だったがお茶は全く分からなかった。多少言い訳がましく聞こえるかも知れないが、師匠は何時も、「何でも早くやれ!禅僧は拙速を尊ぶのだ!」 これぽっかりで、修行時代は専ら粗雑で、作法などは一向頓着せずに、ばたばた走り回ってやっていた。師匠は元来京都出身で、お茶の世界の方々とも随分親しくして居られたわけだから、もっと我々にも作法など喧しく言われても良いと思うのだが、師匠はお茶にはとんと関心が無かったようであった。そんな訳で私は礼儀作法もろ くにわきまえず此処まで来てしまった。

だからいきなり正席へといわれても内心ドキドキであった。それまで有った知識といえば、兎も角出てきた道具類は皆引っ繰り返して讃め挙げれば良いらしいということだけだった。今から思えば誠に恥ずかしい限りだが、そんな不安一杯の席入りだった。しかしどうにか無事に終わってやれやれほっとした時、やけに恭しく黒い四角いお盆が差し出された。 「こりゃー何だ?」 と少し変に思ったが これ又丁寧に裏返してじっくり眺め回して、「大変結構なものですなー。」と言った。ところがこれは何と茶券を回収するためのただのお盆だったのだ。顔から火が出た!周りでこれを見ていた人達はさぞ可笑しかっただろうが、恥をかかせてはいけないと、多分一生懸命笑いを堪えていたに違いない。一世一代の赤恥をかいてしまった。
 又他にこんなこともあった。毎年正月初めに流派の稽古初めが鶴棲院さんで催される。十時になると何時もわざわざ和尚さんが寺まで迎えに来て下さる。そこで不慣れな私は短い道中の間に、本日の段取りは如何なるものか伺い、対応を教えて頂きながらお邪魔していた。こういう全くの付け刃で何年か遣っているうち慣れてきてもう万全と思い、或る年指導を受けずに臨んでしまった。ところがその年に限って薄茶から濃茶に変わっていたのだ。お菓子の頂き方から飲み方まで作法が全く違ってくる。平気で間違いを間違いとも知らずに遣ってしまったのだ。此処でもまた大恥をかいた。この二つのことがあってからというもの、さすがに私も考え込んでしまった。この寺の住職を遣ってゆくにはどうしてもお茶のことを知らなければ駄目だ。そこで一念発起、鶴棲院さんの和尚さんにお願いして雲水二人と共に稽古を始めることにした。
 お茶といえば何といっても作法の手順である。要するに次々に段取り良くやりさえすればそれで良いのだと考えた。そこで一人の雲水には専ら書記役になってもらい、先生の所作を克明にメモさせた。終わったら直ぐコピーしてそれぞれが所持して次回のための資料にした。そして次の稽古の日には先生が来る前三十分ぐらい、今度は私が先生役になってそのメモを見ながら復習の稽古をした。こんな風だから三人ともめきめき腕を上げ、先生も驚くほどの上達ぶりであった。しかし困ったのは一つのお点前を何とかマスターしたと思う間も無く、季節や月に依りどんどん作法が変わってしまうことである。次もまだ充分覚えないうちに又次へと、こうしている内に頭の中が混乱して、どれもこれも一緒くたになって、結果何が何だが分からなくなってしまう。ざっとこんな調子で稽古に励んだのだが今当時のことを振り返って考え方に幾つ かの間違いがあったことに気が付いた。
 その一つはお点前は手順には違いないが余りそのことばかりに気が行ってしまい、肝心なことが疎かになっていたことである。つまりお点前全体の流れとかリズム、抑揚、品格、間合い、ちょっとした仕草の良さ、こう言うことが実は大変重要なのである。″お点前は人なり″という言葉があるかどうか知らないが、やはり人柄というものがもろに出てくるのだ。

だからお稽古の時には先生の所作の中からここを学び取らなければ本当の稽古になっていないのではないかということである。もう一つはその時の周辺の事柄も大変重要だということである。たぎる釜の音、吹く風の心地よさ、さえずる小鳥の声の感じ、これら一つ一つは直接お点前には関係なさそうに見えるが、こういう事も含めてお茶の良さというものがあるのだと思う。
 これは私の未熟さから出た誠に恥ずかしい話ばかりになってしまったが、現在中断している稽古をやがて再開した時には、これまでに学んだ教訓を生かして、より質の高いお茶を目指し益々精進する積もりである。

 

 

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