2001年1月 Kさんの出家志願
 
 私の寺の坐禅会は毎月第一と第三日曜日の午前六時から始まり、参加は随意なので自分の都合に合わせて来たい時に来れば良いと言うやり方をとっている。だから一、二回でやめてしまう者もいれば、創立以来四十年近くも通い続けているという人もいて、顔触れは実に様々だ。現役のサラリーマン、家庭の主婦、定年退職した人、又そのお孫さんなど男女あわせて毎回二十人ほどである。
 特に日曜の早朝からであるため、ばりばり仕事をされている現役サラリーマンはゆっくり朝寝坊をしたいに違いないであろう。ちょっと幸い時間帯である。そんな中に官庁勤めのKさんがいる。彼は私がこの寺に住職した十八年前、既にこの日曜坐禅会の常連で、その真面目な精進ぶりは日を見張るものがあった。一時は役所勤めの関係や子供さんの都合で思うように時間がとれず、ずっと不参加という時期もあったが、そんな時は寺の坐禅会専用の禅堂で、勤め帰りに一人もくもくと坐っていた。最近になって再び日曜坐禅会に参加するようになった。

坐禅、朝食、茶礼のあと四十分ほど私が話をするのだが、或る日話が終わって部屋に戻ろうとする私の後を追い掛けるようにKさんが遣って来てこう言った。「あと十年したら出家しようと思いますのでその時はどうぞ宜敷くお願いします。」唐突な話にちょっと吃驚したが、やっぱりそ か!とも思った。というのは、もう十年以上も前に親しい老人から彼のそういう気持を聞いたことがあったからで、その時は随分迷って結局は諦めざるを得なかったようである。しかしその後も彼は志を曲げることなく孜々兀々と地道な努力を続け、いよいよ決心を固めたに違い ないのである。
 中国の高僧、趙州(じょうしゅう)という人は六十才で出家、八十才になってお悟りを開き、それから百二十才まで明師を訪ねて諸国行脚をされたという有名な話が残っているが、私の頭に直ぐさまそれが浮かんだ。また私が尊敬して止まなかった智香さんという尼僧さんも五十を過ぎてから出家され、八十才で亡くなられるまで修行を続けられた。これらの人と同様に彼の場合もそんな歳になってようやく機縁が熟したということなのだろうか。人生の節目節目に葛藤し悩みながらきて、こういう選択をしたのだから我々門外漢がとやかくいう筋合いではない。しかしそれにしても人生の黄昏どきを迎える年令になって新たな決意を起こし、修行の道を志す情熱には頭の下がる思いである。二度とない人生なのだから自分の思い通りに生きたいというのは人間として当然のことで、その通りに実現することを願わずにはいられない。
 しかし一方ではこうも思った。物事には全てふさわしい時期というものがあり、人生にチャンスはそう何度も訪れるものではない。ここぞと云うときに蛮勇を奮い一歩を踏み出す勇気がなければ駄目なのだ。全て丸く納まってからなどという考えでは虫が艮すぎる。思い立ったならば、何と非難されようが自分の行き方を貫き、少なからず血を流さなければ思いは遂げられるものではない。彼は或 はこう思案したのかもしれない。あと十年すれば子供たちも独り立ちして親の責任からも解放される。そうなれば後に憂いを残さず出家できる。
 以前こういう話を聞いたことがある。お坊さんになるのに一番理想的なのはお釈迦さまが歩んだのと同様の道をたどることだ。まず家庭的には優しい両親に恵まれ経済的に何に不自由なく、その時代の最高の学問を身につけ、年頃になったら美しい妻をめとり、子供をもうけ幸せな家庭を築く。普通ならこれで我が人生事足れりというところだが、しかしそれだけで人生を終わることに大いなる疑問を感じ、やがて生老病死の苦しみから抜け出すため、或る日妻子を捨てて忽然と出家する。その後明師を訪ね難行苦行の末お悟りを開き、立派な僧侶となって、ついには捨てた家族の帰依も受けるようになる。

 さてKさんの言う十年後の出家はどうなることか。多分、人は口々になにも晩年になってそんな厳しい修行の道に人らなくても、もう充分働いてきたのだから、余生はのんびりと暮らせば良いではないかというかもしれない。しかし彼の場合はその歳にならなければ機縁は熟さなかったのだとも言える。その時点でようやく今この道を歩む決心がつき、悔いない人生を全うできるのだとすればそれにこしたことはない。そこに至るまでの数十 年間をこれからの人生に生かし、それまでの試行錯誤や葛藤が決して無駄ではなかったと思えるような日々がやって来ることを願わずにはいられない。これからは益々本物か偽物かを厳しく問われる時代になる。彼にはそういった期待に答えられる真の禅僧になって欲しいと大いに期待している。

 

 

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