2003年9月 愛犬ハチ
 
 愛犬ハチが寺にやって来て今年で八年になる。私は毎日午前九時半から約一時間散歩に連れて行く。コースは総門を出てから、右か左か真っ直ぐかで大きく三通りある。何れのコースになるか決定するのは常にハチである。こちらが今日はあまり時間がないから橿森公園コースにして欲しいな〜と思っても、ハチがこっち!≠ニ真っ直ぐコースを選択すれば、へへーっ!≠トなぐあいで従うことになる。こう言うと大抵の人はまるでお 犬さまですな〜”などとあきれ顔で言うが、その時こちらが幾ら踏ん張って他のコースへ連れて行こうとしても、それは絶対に不可能で、ハチは道路の真ん中で横倒しになってテコでも動かなくなってしまうのだ。通りがかりにその光景を目にした人は、ま〜!わがままだこと!≠ネどと言うが、訴えるような眼差で見られたら途端にころっ!言いなりになってしまうのである。

 ところでハチにとって散歩という観念は全く無く、外に出かけると言うことは常に何か拾い食いするためだと思っている。これは寺にやってきた当初からで、今なおこの悪癖は直らぬ。拾い食いしたら小さい頃徹底的に叱ればしなくなりますよ=Bと人は言うが、電光石火あっと言う間にうんこ≠食べてしまう。これにはほとほと参った。そう言う時は取っ組み合いの喧嘩で、牙を剥き出しものすごい形相となって真剣に噛みついてくる。何度もそんなことを繰り返すうち、私は考えた。きっとハチは阪神大震災の中、親からはぐれて喰うものも食えずに神戸の街をさまよいながら、他の犬のうんこを食べて飢えを耐え忍んでいたのに違いない。三つ子の魂百までと言うが、寺に貰われ食べ物には何に不自由ない境遇になっても、嘗ての記憶が刷り込まれて消えないのだ。思えば何と不欄な。
 さて私が外出先から帰ると待ち構えていて、千切れるほどしっばを振って全身で喜びを表し、台所の板の間に上がって待っている。私は汚されないよう、まずは衣を脇に脱ぎ、坐ると身体を何度も擦りつけてくる。それから着物の左袂に首を突っ込む。ガサッ!と音がすると、ピッ!と正座してお手をする。以前外出先で頂いたお菓子を紙にくるんで袂に入れていたのを遣ったことがある。それをちゃんと覚えていて、今日は何貰ってきたかな〜。≠ニ首を突っ込むのだ。こう言うと、老師さまのお帰りを喜ぶのはそのお菓子が目当てなんじゃ〜ないんですか?≠ネどと言う人もいるが、そんなことはない。どうです、ハチは天才でしょう。それからごろっと横に成って寝る。これはお腹を撫でて!≠ニいう合図で、優しく撫でてやると目を細め幸せそうにする。帰ったときには何時もこういう風に迎えてくれるから私の疲れはいっぺんにすっ飛んでしまうのだ。
 散歩に出掛けると会う人ごとにうっまー可愛いー!≠ニ言われる。寺町界隈にはハチのファンが沢山居て、ドックフード・チクワ・煎餅・あめ玉・ジャーキーなどがハチを待ち構え、ハチちゃん!ハチちゃん!とあっちこっちから声がかかる。ハチは一度でも餌を貰った人は決して忘れず、散歩の途中ひょいっと会っても目敏く見つけ、すかさずすり寄って催促する。その機敏なことと言ったらないのだ。
 そして散歩も終え、そろそろ帰ろうかなとこちらが思っても、ハチはもっとあっちこっちへ行きたいと思うことがある。そんな時ハチ!もう帰るぞ!≠ニ言うと上方約十五度の角度に顔をしゃくりあげ、鼻を膨らませ訴えるような目つきで、まだ帰りたくな〜い”と言う。しょうがないな〜、あっちへ行きたいの!≠ニ言うと、うん!≠ニ言う。結果、一時間はたっぷりかかってしまうのである。

 さてここで少しは欠点も書いておこう。 それは極めて自己中心的であることだ。お寺の住人は全てハチの都合によって種類分けされており、この人は午後の散歩係・あの人は餌担当・また別の人はおやつ係等々である。だから尻尾を振ってすり寄って行くのは自分の目的達成のためだけで、それ以外の時は見向きもしない。これが実に徹底して入る。例えば私の担当は午前の散歩であるから、ちょっと足音がしただけでも早や屈伸運動をして待機、尻尾を振ってきゅんきゅんとなき催 促する。しかしこれが午後になると私が近くを通っても完全に無視、見向きもしないのである。どうこの態度!ちょっと酷いんじゃない。
 世に動物が大好きという人は沢山居る。 しかし大抵こちらの都合の良いときだけ可愛がって後はほったらかしというのが良くある。犬のわずか十数年という短い一生を共に生き、こちらも沢山の恩恵を得るのだから精一杯愛情を注いでやりたい。私はハチとこうして巡り会い、どれだけ心豊かな日々を持つことが出来たか知れないと感謝している。

 

 

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