ところでハチにとって散歩という観念は全く無く、外に出かけると言うことは常に何か拾い食いするためだと思っている。これは寺にやってきた当初からで、今なおこの悪癖は直らぬ。拾い食いしたら小さい頃徹底的に叱ればしなくなりますよ=Bと人は言うが、電光石火あっと言う間にうんこ≠食べてしまう。これにはほとほと参った。そう言う時は取っ組み合いの喧嘩で、牙を剥き出しものすごい形相となって真剣に噛みついてくる。何度もそんなことを繰り返すうち、私は考えた。きっとハチは阪神大震災の中、親からはぐれて喰うものも食えずに神戸の街をさまよいながら、他の犬のうんこを食べて飢えを耐え忍んでいたのに違いない。三つ子の魂百までと言うが、寺に貰われ食べ物には何に不自由ない境遇になっても、嘗ての記憶が刷り込まれて消えないのだ。思えば何と不欄な。
さて私が外出先から帰ると待ち構えていて、千切れるほどしっばを振って全身で喜びを表し、台所の板の間に上がって待っている。私は汚されないよう、まずは衣を脇に脱ぎ、坐ると身体を何度も擦りつけてくる。それから着物の左袂に首を突っ込む。ガサッ!と音がすると、ピッ!と正座してお手をする。以前外出先で頂いたお菓子を紙にくるんで袂に入れていたのを遣ったことがある。それをちゃんと覚えていて、今日は何貰ってきたかな〜。≠ニ首を突っ込むのだ。こう言うと、老師さまのお帰りを喜ぶのはそのお菓子が目当てなんじゃ〜ないんですか?≠ネどと言う人もいるが、そんなことはない。どうです、ハチは天才でしょう。それからごろっと横に成って寝る。これはお腹を撫でて!≠ニいう合図で、優しく撫でてやると目を細め幸せそうにする。帰ったときには何時もこういう風に迎えてくれるから私の疲れはいっぺんにすっ飛んでしまうのだ。
散歩に出掛けると会う人ごとにうっまー可愛いー!≠ニ言われる。寺町界隈にはハチのファンが沢山居て、ドックフード・チクワ・煎餅・あめ玉・ジャーキーなどがハチを待ち構え、ハチちゃん!ハチちゃん!とあっちこっちから声がかかる。ハチは一度でも餌を貰った人は決して忘れず、散歩の途中ひょいっと会っても目敏く見つけ、すかさずすり寄って催促する。その機敏なことと言ったらないのだ。
そして散歩も終え、そろそろ帰ろうかなとこちらが思っても、ハチはもっとあっちこっちへ行きたいと思うことがある。そんな時ハチ!もう帰るぞ!≠ニ言うと上方約十五度の角度に顔をしゃくりあげ、鼻を膨らませ訴えるような目つきで、まだ帰りたくな〜い”と言う。しょうがないな〜、あっちへ行きたいの!≠ニ言うと、うん!≠ニ言う。結果、一時間はたっぷりかかってしまうのである。
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