2003年11月 パガンのパゴダ
 
 二月、ミャンマーへ仲間十数人と旅をした。以前知人がパガンというところへ出かけ林立するパゴダ群に感銘を受けたと言っていたので、私も是非行ってみたいと思っていた。タイのバンコック経由で首都ヤンゴンに入り、そこから再び飛行機で小一時間ようやく目的地のパガンに到着した。二月とはいえ相当な暑さで汗がにじみ出てくる。空港からバスに乗り三時間ほど行くと辺りは延々と畑が続き、そこに何と二千基以上もパゴダが文字通り林立しているのが見えた。大小様々で、小さいものは基壇の直径が約五メートル、高さも数メートル、造りも煉瓦を積み上げただけの質素なものから、巨大なのになると七、八階建てのビルほどもある豪壮な造りのものまで畑の中一面に建てられている。

 元来これらのパゴダ(仏塔)は仏舎利、 つまりお釈迦様の骨を祀るものであったが、やがてその目的から離れて信仰のためのモニュメントとなった。我が国へもこれが伝わり五重塔に変化していったのである。有名な法隆寺の五重塔を始め、室生寺の小さな塔、また京都駅からも見られる東寺の塔、或いは祇園近くの八坂の塔など、いずれも素晴らしい雰囲気を醸し出している。
 我々一行は特に大きなパゴダをいくつか巡った。モニュメントだから外観は大きくとも中に部屋などはない。四方に仏様が祀ってあり細い廊下伝いに周囲をぐるり回るという具合だ。面白いのは二千基以上もあるパゴダはどれ一つとっても同じ形のものがないということだ。土地の資産家或いは村中皆でお金を出し合ったりしてそれぞれ建てられるのだそうだが、屹度今まで何処にもない自分たちだけのオリジナルな塔を競い合って作ったと思われる。特に印象深かったのは、夕闇迫る頃、大きなパゴダで頂上まで登れるものがあり、数十メートルの高さから果てしなく広がる大地に林立するパゴダ群を眺めたことだ。これはまさに絶景であった。
 ところで先程の知人が旅行から帰っての感想に、一般民衆の生活は極貧にも拘わらず黄金に輝くパゴダを見ていると、どう考えてもこれはやり過ぎではないか。まずは自分たちの生活があってそのうえに信仰があるべきではないか、と言っておられた。ヤンゴンの中心にある巨大な黄金のパゴダなどは目を見張るばかりで、総金張り、この国の何処にこんな膨大な金があるのかと不思議に思わずにいられない。私もこれ程までお寺につぎ込まずにもう少しこの富を民衆に分け与えたらどうかと思ってしまった。そこでガイドのキンモモイさんに質問してみた。
 すると彼女の答えは、寺に搾取されているという感じは全くなく、お釈迦様の喜ぶことが自分たちの喜びなのだと言うのだ。これを聞いて、彼らにとって信仰と日常とはぴったり一体のもので、ちょうど母親と子供の関係のようなものだと感じた。別のある人は、余りの貧しさ故に現世への望みを失い、逃避としての仏の世界へ没入していったのではないかとも言っていたが、そう言う消極的な感じは全くない。首都の公務員の平均給与が日本円でおよそ三千円だという。いくら物価の安いミャンマーでもそれだけではとても生活できないから、みんな仕事が終わるとアルバイトで稼ぎ、何とかしのいでいるのだという。それにしてもなかなか厳しい状況である。アウンサンスーチー女史の軟禁状態が度々ニュースになって我々も知っている通り、民主化の遅れは国際社会から非難され、現軍事政権は苦境に立たされている。そのため外国からの援助も途絶えがちで、事実我々が降りた空港の工事は半分で中断されたままだし、道路などのインフラ整備も充分ではない。走っている車やトラックはほとんどが日本製の中古車で、ダイハツミゼットが未だに現役で活躍しているのだから単純には喜べない。

 彼らの日常はかくの如き状況にも拘わらずパゴダは至るところで次々に修復がなされている。ガイドさんの伯父さんも或るお寺に仏像を寄進したそうだが、近々その修理をすることになり、修理代が何と日本円で二百万円も掛かるという。従兄弟十二人でやらなければ成らないので大変なんですと眉を顰めていたが、そう言いながらも自分たちでこの仏さんを守ってゆくことが一族の誇りなのだと自慢げであった。寺のお詣りなどもそれは丁 寧で、大きなパゴダの周囲には茣蓙を敷いて持参の弁当を広げ一家揃って終日座り込んでいる。仏とじかに向き合い、じっと瞑想に耽っている彼らの姿を見ていると、たとえ日常は大変貧しくとも真の幸福とは何かを改めて考えさせられた。さて今日の我が国を振り返って見たとき、経済的繁栄の真っ只中にありながら、心はミャンマーの人達より貧しいのではないがと思われるのである。

 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.