しかしいくら物騒とはいえ世界的に見れば日本はまだまだ実に平和で安全な国である。数年前ブラジルへ旅をしたが、道路を歩いていても買い物に行っても何時ひったくりや強盗に出くわすか分からないという空気であった。バックは胸にしっかり抱きかかえ、歩くときも前後左右きょろきょろ見回して注意怠りなくしなければならず、油断も隙もないのだ。サンパウロ市内の家という家は二メートル以上もある頑強な鉄格子で全て覆われ、 まるで動物園の檻のようだ。前の道路を歩いているのは人間ではなく猛獣ということなのかとさえ思えてくる。ともかく人心の荒廃は凄まじいばかりで、これにはほとほと神経をすり減らしてしまった。帰国後日本の何とも平和な佇まいに心和む思いがしたものである。
さて昨年夏、ロンドンの友人のポール宅に十日間はど逗留させて貰った時のことだ。この時期にはプロムナードコンサートが開かれており、連れだって音楽を聴きに行くのが楽しみの一つに成っている。今回はポールが車を買ったので会場までは彼の運転で出かけた。時間ぎりぎりだったにも拘わらず、ホールのすぐ際に一台分の駐車スペースがあり、運が良かったとばかりにそこへ駐車した。ところが約二時間後、素晴らしい演奏を堪能して外に出てみると、停めて置いた車がない。あれれっ!どうしたことだ!と丁度近くに警官が居たので事情を話し尋ねると、駐車違反だからとっくに余所へ移動したと言うのだ。決められた路上パーキングにきちんと停めたのだから納得いかないと抗議すると、ポールが住んでいるケンジントン区域の住民が駐車できるエリヤ外だということが分かった。これはロンドンの駐車規則を知っていないと何のことか理解できないが、限られたスペースを効率的に使う知慧で、誠に良くできた規則なのである。そこで我々はしぶしぶ承知して車を探しに暗い夜道を延々と歩く羽目になった。途中で何度も警官に道を尋ね、ようやく辿り着いたところは地下大駐車場であった。ポールだけが中に入り、我々は入り口で待つことにした。ロンドンの九月は既に秋も深まり、小寒い風が吹き抜けていた。停むこと三 十分やっとの思いで車に乗ることが出来た。この日のチケット代は全員で一万数千円、一方払った違反金が三万数千円であるから、何とも高価なコンサートになったものだと車中で考えていると、ポールがこう言った。「地下の薄暗いところで一日中排気ガスを浴びながら違反金の徴収をする仕事をしなければならないのは本当に可哀想だ。しかも誰も喜んで払う人は居ない。皆不満たらたら苦虫噛み潰したような顔をする。それでも彼ら難民は他に仕事がないから辛抱してやらなければならない。チップを上げたいくらいだ。」それを聞いた私は「何を言うか!可哀想なのはこっちの方だ。チケットの三倍も違反金を取られて、えい、腹の立つ。」と思わず言ってしまってから、ふっと心に思うことがあった。
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