時は流れて何年か経ち、ある日玄関に来客があった。応対に出た奥さんが何かしきりに客と言い合っている。どうしたのかと思っていると、「あなた、かくかくしかじかでこういう人があなたの名刺を持って遣ってこられました。いつでも力になってあげるからと言われたので今日一家揃って郷里を出てきました。先生よろしくお願いしますと言ってますよ。」と言うのである。先生はと言えば、とっくの昔のことでほとんど記憶にない。確 かに気持ちの良いマッサージにかかり、そんなことを言ったかもしれないし、その帰り際、「先生名刺を頂けませんか?」と言われ渡したような気もする。だんだん記憶が蘇ってきた。兎も角こうなったからには何とかしなければならないと、近くのアパートを探したり、知り合いには是非マッサージを頼んで欲しいと電話を掛けたりと、大奮闘の一日になった。あまりの気持ちよさにうっかり余分なことを言ってしまったためにとんだことに なったわけで、人間どこに災難が転がっているか分からないものだ。
そんな先生のお世話の甲斐もあって何とか一家日々の生活が成り立つようになり、ほっと安堵の胸を撫で下ろした。マッサージさんも先生には大変感謝し、従ってマッサージはいつも入念にやって呉れた。ところが物事何でも、過ぎたるは及ぼざるがごとしで、ある時マッサージ中突然首が回らなくなってしまった。これは一大事とばかりいろいろやるが、やればやるほどますます首は回らない。つ いに、「先生、ちょっと電話を貸してください。私の師匠にこういう場合はどうしたらよいか尋ねますので…。」と言うような笑えないこともあったそうだ。
さて話は変わり団伊玖磨著パイプのけむり≠謔闊用する。ある時マッサージにかかっていると、「先生この世に神は存在すると思いますか。」と質問された。曖昧な返事をしていると、彼は、「私は居ると思います。」とはっきり言い、実はこういうことがあったのですと話し始めた。彼は酷い弱視で物の形がぼ〜っと見える程度である。ある日二人の子供が父親の誕生日に感謝の気持ちを込め、 こつこつ貯めた小遣いで、当時まだ高価だったコンタクトレンズをプレゼントして呉れた。ところがある晩仕事の帰り道、激しく降る雨の中ぬかるみに足を滑らせ転倒した瞬間、大切にしていたコンタクトレンズを落としてしまった。何としてでも探し出さなければと必死になるが、薄暗い中ぬかるみに落ちてしまった小さなコンタクトレンズなど到底探し出せるものではない。それでもずぶ濡れになりながら必死に成って探し続けた。とその 時どこから現れたのか、一人の紳士が傍らに立って、「どうされたのですか。」と尋ねた。そこで経緯をざっと話すと、それではとその人も一緒になって探してくれた。それから何時間経ったかしれぬが、「有りました!」と件の紳士が叫んだ。やれ嬉しや、しかし見ると全身泥だらけであった。この人は然るべき所用があってこの道を歩いてきたに違いない。それにもかかわらず自分のために我が身をも省みず懸命に探してくれた。お礼の申し上げようもないほど感謝し、せめてその汚れた背広のクリーニング代だけでも負担させてくださいと懇願した。「いえいえ、そんな心配はご無用です。」と言ってさっと立ち去っていった。丁度その時、夜も白々と明けはじめ、坂道を歩いて行くその人の後ろ姿に朝日が差し込み、それはまるで後光のようだった。彼はその瞬間神だ!≠ニ思ったそうだ。
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