2004年11月 主人公

 
 河合隼雄氏のエッセイ「主人公」より 引用させて頂く。『江崎雪子さんは重症筋無力症の大病と闘いながら、こねこムーのおくりもの≠ニいう児童文学作品を生み出していった。この物語の主人公は黒い木馬である。デパートの屋上から寂しい公園の片隅に移され悲しんでいた木馬のところへ猫の親子が現れた。猫は木馬の背中に乗って眠るようになり、こねこムーと木馬は大の仲良しになった。しかし不幸にも親猫は病で死に、ひとり ぼっちになってしまったムーを木馬は支え励ました。ムーはだんだん元気になってきたが、ある日犬に噛まれて大けがをする。木馬はどうすることも出来ず、公園によく来るおばあさんに頼んでムーを引き受けて貰った。それから木馬はずっとムーの帰りを待つが、何日経っても帰ってこず、泣くばかりの日が続いた。そんな中で木馬はふと夕日の美しさに気づき、自分が多くの素晴らしい仲間に囲まれていることに気づく。木の葉も夕陽も風もすべて仲間なのだ。春の訪れを感じるなかで、木馬の心もはずんでくる。

この物語を小学校低学年の子供たちが喜んで読んだ。すると大変興味深いことが解った。それは主人公の黒い木馬より、こねこムーのほうに気持ちをよせてくれていることであった。このように江崎さんは 「きっと明日は」という闘病記のなかで書いておられる。これは実に考えさせられる事実である。
 作者の江崎さんは華やかなりし青春時代の真っ只中、突然病に倒れ働きたくとも働けない苦しみを味わった。作者が公園の片隅に忘れられた動くことの出来ない木馬を主人公に選んだ気持ちは痛いほど分かる。ところが子供たちはこねこのムーを主人公にしてしまった。つまり此処で重要なのは主人公というものは一番大切な存在ではないということである。人間の人生を一つの物語と考えれば、さしずめ主人公は自分と言うことになる。しかしそれが一番大切な存在ではないと知ることによって人生はより一層深みを持つ。主人公はいろいろな体験を通して自分より大切な存在は何かと問いかける。そう言う生き方がより人生を豊かにしてゆくのである。』私はこの一文を読みながら、江崎雪子さんも河合隼雄氏も何と凄いところを指摘されたものだと驚かされた。これはまさに禅だと感じた。
 そんな事を考えているうちに、ふっとある四月初めの日曜日の出来事を思い出した。その日は朝からからりと晴れ上がり、暖かな風が吹き抜けていた。その頃続けていた往復一時間半の山歩きは私にとって丁度良い運動になり、この日もいつもの通り出掛けた。山道は橿森公園登り口より二百段ほど急な階段が続き、やがて通称水道山に至る。そこには猫の額ほどの平地があって、今上陛下ご誕生記念に植樹された桜の木が十数本、今を盛りに咲いていた。眺めながら歩を進め、伊奈波神社で折り返す。せっせと歩くと額から汗がふきだす。帰路再び水道山に差し掛かると丁度昼時であったのだろう、満開の桜の木の下で親子三人、弁当をひろげ今まさに食べようと言うところであった。粗末なベンチがあり、父親はその左端に腰掛け、四、五歳くらいと、小学四年生くらいの女の子が二人仲良く並んでベンチを食卓代わりに地面にぺたりと 座り込んでいた。私がそこを通りかかると二人の女の子は私にちらりと目を遣り、それからすぐに父親の方へ視線を戻し嬉しそうににっこりと微笑んだ。お弁当は赤や黄色、色とりどりに飾られまるで花園のようであった。暖かく柔かな春風が吹き抜け、満開の桜の花びらが三人の親子の上にひらひらと舞った。何と可愛らしく、瞳の澄んでいたことか…。私は足早にそこを通り過ぎた。ところがしばらくして胸がだんだん熱くなってきて締め 付けられるようになった。そしてわけもなく涙がポロポロとこぼれた。いったいどうしたことか。私はこの不思議な感情の高まりをどうすることもできなかった。寺に戻ってからもずっと胸に残り、翌日になってもそれは消えることがなかった。自分自身の思いもよらぬ心の動揺に考え込んでしまったのだ。

しかしやがてその答えが解ってきた。微笑ましい親子の姿から私は自分の存在を越えたもっと大切なものがこの世にはあるのだと気づかされたのだ。それまでの自分は修行だけ全うできれば他のことは一切関係ないと言う我利我利亡者であった。これは明らかに間違いだとあの瞬間に悟ったのだ。所詮自分の存在など夢、幻で、それが証拠に八十年もしたら影も形も無くなってしまう。それならば人生においてもっとも大切なものは一体何なのか。私はもう一度今までやって来た自分の修行を総括し見つめ直そうと考えている。そうしなければ私の修行は絶対浮かばれないと痛感したのである。たとえその答えは簡単に出てこないとしても、そう問いかける姿勢を持ち続けたいと思っている。

 

 

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