2005年5月 あいづち

 
 或る団体を主催している知人がいる。彼のところでは毎月会員向けに機関誌を発行しており、私のところへも送ってきてくれる。大半の記事は会員向けのため余り興味はないのだが、中に外部の人が一般的な事柄について執筆している文章があり、或る一文が目にとまった。それは「江戸しぐさ」、つまり江戸時代の庶民のやり方、所作等について書かれているものであった。以前NHKテレビに「お江戸でござる」というコメディー番組が あったが、いつもその最後に杉浦日向子さんによる江戸時代の庶民の生活振りについての話があり、大変興味を惹かれた。この「江戸しぐさ」も特に面白く拝読し、中でも「あいづち」と題する一文は大いに学ぶべき点があると感じた。
 そもそもこの「あいづち」という言葉は日本刀の鍜錬から来ているという。岐阜県は関の名刀孫六の産地として有名だが、錆びず刃こぼれもせず曲がらず折れずそして良く切れる、日本刀は大変不思議な性能を持っている。全く相反した性質を同時に持つ金属という点で、世界的にも注目されているが、その秘密は製造過程にあるようだ。まず心鉄を中に入れ、曲がらぬように皮金で外から包み、刃先の部分には鋼を加える。それを打ち延ばし折り返しあいづちを入れながら、何回も繰り返し鍜錬して行くのである。一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十と六枚という具合。これではまるで蝦蟇の油売りの口上になってしまうが、兎も角倍々と何回も繰り返し、十二回で二千四十枚にも折り返されるそうだ。こうして強靭な構造になってゆくのである。ここで重要なのが、折り返す過程での「あいづち」で、これが旨く行かないとどんなに配合良く金属を重ねても鈍刀にしか ならないそうだ。いかにあいづちを打つ呼吸が重要かである。
 話は変わるが江戸時代、「お仙の茶屋」 という、大変繁盛した店があったという。店の看板娘、お仙は美人でもあったが、それだけではこうも流行りはしない。広い江戸にただ美人というだけなら他に幾らでも居る。では何故この茶屋がこれ程まで繁盛したか。それはこのお仙の客との応酬、「あいづち」の打ち方が誠に鮮やかであったからだという。客は上手な客さばきとその「あいづち」を聞きたいために茶屋へ通ったと言うのだ。
 以前師匠が管長時代のこと、その秘書のような役をしておられた和尚さんからこんな話を聞いたことがある。東京のある大手の会社の社長さんが管長の信者さんで、用事がある度ちょくちょく会社へ電話をすることがあった。その時電話口に出るのは何時も先方の社長秘書の女性で、その何とも言えぬ対応の良さと、加えて声もまた良いのである。電話をする度、この女性は一体どんな人だろうと想 像は膨らむばかりで、一度直接お目に掛かりたいものだと思うようになった。暫くして東京、しかもその会社へのお供を命じられ、やれ嬉しや、念願適ってついにお目に掛かれると喜び勇んだ。ところが会ってみるとおよそ美人とは言えぬタイプで想像とは全く違って、がっかりしたと言っておられた。相手の女性に失礼この上ない話になったがそれは冗談で、「一流企業ともなると矢張り達うな!!」という感想であった。会社の受付はその 延長線上に会社が在るのだし、秘書はその背後に社長が見えるということになる。確かに企業内では決して高い役職とは言えないかも知れないが、意外と重要である。私もたまに知り合いの会社に電話をすることがあり、こちらが、「もしもし」と言って相手の「はい」と言う最初の一言でおおよそ解る。残念ながら今まで一人も私の目に適う電話番は居ない。
 人様のことはさて置き、自分のところはどうかと言うと、誠に恥ずかしながら充分とは言えない。毎朝雲水の幹部の者と「茶礼(されい)」をする。これはほんの一寸お茶を飲んでから、その日の仕事や対外的なことなどの打ち合わせをするのだが、当然雲水といろいろな遣り取りがある。修行してもう八年も九年も成るというのに、何ともこの「あいづち」の悪い男が居る。性格というのもあるの かも知れないが、これは修行に当てはめれば「なりきる」ことである。対するものに成り切るのであるが、その為に肝心なのは何時も自分の中を空っぽにしていなければならないということだ。こちら側に何もないからこそ即座に相手と一体になれるというわけである。その一体感から出た言葉やしぐさは自ずから相手に心地よく響く。つまり相づちが悪いというのは自分の中がスッキリしていないと いうことになる。こう考えてくるとたかが「あいづち」などと言ってはいられない。日々どういう心境で修行しているのかを問われていることになるからである。この「あいづち」。簡単なようでなかなか奥の深い問題である。
 

 

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