私は数年前より大変親切なお医者さんをホームドクターとして、日々健康維持ではお世話になっている。今回もドックの資料を持参してこの不思議な指摘についてお伺いした。するとこういう事ではないかというのである。人間の体は大変順応性があって、栄養が充分摂取できないと成るべく少ないカロリーでも動けるように、エネルギーを効率的に使ってゆくのだそうだ。その典型的例が昔から行われている早朝のラジオ体操だという。戦後食料が充分行き渡らない状況下、国民を飢え死にさせないため、簡便にして合理的且つ殆ど費用の掛からない最も良い方法として編み出されものなのだそうだ。早朝、一番お腹の空いている時に国民全員を運動させると、知らないうちに体は成るべく少ないエネルギーでも動けるように変化してくる。もし満腹状態の時に何時も体を動かしていると、幾らでもエネルギーが使えると感じて、恰もガソリン垂れ流しのアメ車のような体に成ってしまうらしい。つまり危機感を与えると体はそれに対応して、近頃評判のハイブリットカーになる、とこういう理屈である。つい先日も知人でトヨタのプリウスを購入したものがいたので、「どうかね、車の調子は‥‥?」 と尋ねると、「いや!ちっともガソリンが減りませんね!。」 と言っていた。私の体は当にこれだったのである。
思えばもう四十年以上も昔のこと、僧堂生活では飢えと闘いの日々であった。午前三時半に起床、直ぐ四十分ほど朝の勤行、目一杯大声張り上げてのお経である。終わって直ぐ朝食となる。通称天井粥と呼ばれるほどずるずるの薄いお粥、これを三杯、殆ど箸を使わず口に流し込む。それから約一時間の坐禅、参禅、ほっと一息つけるのは起床から三時間半後である。既にお腹はグーグー鳴っている。それから作務となる。山へ入っては柴を作り薪を割り、また日によっては托鉢に出掛ける。これも現場到着までに一・二時間歩くのはざらで、着いてから約三時間は家々を廻り行乞である。腹が空くなんぞという沙汰ではない、頭がクラクラするほどだ。昼食は通常十時半で、麦飯に味噌汁、沢庵、これを山盛り四杯は食べる。そして午後も重労働は続き、待ちかねた夕食は午後五時、朝のお粥と昼の麦飯、それと味噌汁を鍋で煮た所謂おじやで、これを軽く三杯食べる。その後六時過ぎからは禅堂での夜の坐禅となり、九時解定、消灯まで修行が続く。一端寝る格好をしてから直ぐ起き上がり、今度は本堂の濡縁での夜座となり、これが一・二時間続く。だから堂内で横になれるのは結局午後十一時頃になってしまう。
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