2005年11月 無縫塔
 
 中国唐の時代、代宗皇帝は日頃から親しく指導を仰いでいる慧忠国師に質問をした。「百年の後須むる所何物ぞ」。貴方がもし死んだら何をして差し上げたらよいでしょうか。すると国師は、「儂のために無縫塔を作ってくれ。」と言われた。無縫塔とは縫い目のない墓と言うことである。さてこれは一体どんなものなのだろうか。そこで代宗は 「請う師塔様」と問い掛けた。国師は暫く沈黙し、やがて「会すや」と言った。どうじゃ分かったかである。代宗は「分かりません」と答えると、国師は「儂の法を嗣いだ弟子に耽源という者が居る。その者は良く承知して居るから聞いてくれ。」と言われ、やがて亡くなってしまった。そこで代宗は耽源を探し出し召して、「この意如何」と問う。すると次のような詩を呈した。「北は北極から南は南極までこの国中は黄金に満ちている。太平洋上影一つない。皆平等、一切衆生悉く乗合船である。立派な御殿の中には善知識は居らん。」と言う、誠に謎めいた詩を示された。さて、この詩の意味するところは何か、益々分からなくなってしまった。

 話は変わるが、代宗は国師の礼を以て慧忠国師を迎え、宮廷から退かれる際には常に自ら玄関まで送られたそうである。このため家来達が、「天下の皇帝が坊主を送るとは‥‥」と讒言した。皇帝がこの事を慧忠国師に申し上げると、次のように答えられたという。「膿が天国の帝釈天から地上を眺めると、粟粒撒き散らしたように天子と名乗る者は多い。が稲妻があっという間に消えるようなものだ。地上の天子などたいしたものではない。そんなことに心を囚われてはいかん。本来の面目、仏性を自覚してこそ人間の値打ちが決まるのだ。」慧忠国師はどこまでも堂々と真理を説かれたので皇帝は益々帰依したという。
  さて次に何故慧忠国師はご自分で答えられずに弟子の耽源に答えさせたかである。これは老婆親切ではないかと思われる。雲水の参禅も同様で、何回答えを持って行っても老師はチリチリと鈴を振るだけで何の反応もなく、進退窮まり崖っぷちに立たされる。こんな時は誰しも藁をも掴みたいわけだから、ここで一言あればどれだけ楽が判らない。老師は何と不親切な人なのかと恨み言の一つも言いたい心境になる。しかしこんな時下手にものを言えばそれが却って本人を苦しめるもとになるのである。どれだけ捨てきって心をスッキリさせているかが常に間われるからである。自分の中に何も無くなれば答えは自然に得られる。これと同様で、代宗が 「請う師塔様」と問いかけた時、只じっと黙っておられた。この良久が実に重要で、ここに無縫塔がはっきりと表現されているのである。
  次に耽源の謎めいた詩であるがこんな解釈が出来る。「見るものと見られるものとぴたっと一つになって、その一つになって何も無いところが黄金の世界、本来の面目である。風はどこまでも穏やかで浪は平らか、森羅万象あるがまま、そこに何か姿を認め形を認めたら早や既に無縫塔ではない。」如何であろうか。益々この無縫塔が解らなくなってきたと仰るに違いない。
  話は変わるが、私は毎朝居室の庭先、白い椿の根本に向かいお経を上げる。生前母が、「お前の側で眠りたい。」と言っていたので、分骨して椿の木の根本に埋め其処に観音の石像を建てた。それから部屋に戻って内佛にお詣りし、開山や世代、智香さん、棚橋さんや市十郎さん、父や母兄弟にお経を上げる。お経が済んだら暫く合掌をして祀ってある母の位牌と静かに対峙する。このとき何か心に悩みや問題があればそのことを打ち明け相談することにしている。「かくかくしかじか、どうしたらいいか迷って居るんだが、私はこう思うけれど母さんはどう思う?」と問い掛ける。すると母はいつも、「私もお前と同じ考えだよ」と言う。そこで私はこれで良かったのだと確信する。

ところが何日か経つと、どうもその考えは間違いではないかと思うようになる。其処で再び問いかけると母はまたいつもの如く、「私もお前と一緒だよ」と言う。だからもうこれで間違いないと確信するのだが、暫くすると又間違いではないかと思うようになる。この繰り返しは果てしなく続き二年も三年もかかることがあるが、それでも根気よくこの間い掛けを続けてゆくといつか不思議と安らかな心の落ち着き場所が見つかってくる。その間費やされる年月は随分無駄なような気もするが私の場合、いつもこういう経過を辿らなければ、心の安定は得られないのだ。そうして得た結論は常に修行で得た心境と一致する。
  良寛和尚の歌に形見とて何か残さん春は花夏ホトトギス秋はもみじ葉≠ニいうのがある。全宇宙が悉く心理を映し出す鏡であり、それこそが慧忠国師の言わんとした無縫塔なのである。しかしこれを得る事は実に難しく険しい。

 

 

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