一指
 
 中国の禅僧、倶胝は誰に何と問われても常に指一本立てるという、何とも不思議な説法で生涯を通された方である。唐の武宗皇帝の廃仏のころである。寺は悉く潰され、お坊さんはみな還俗させられた時代で、倶胝も山奥の草庵に隠れていた。ある時実際という尼さんが訪ねてきた。倶胝の坐っている傍らへ、笠も取らず草鞋を履いたままズカズカと上がり込むとグルグル三遍廻って錫杖をつっと立てた。「笠ぐらい取ったらどうだ。」と言うと、「道い得ば即ち笠を下ろさん。」しかし倶胝は何も言えなかった。尼さんが帰りかけたので、「もう日も暮れる、一晩泊まっていったらどうだ。」と言うと、「道い得ば即ち泊せん」。しかしこの時も倶胝は何も答えることが出来なかった。すると尼さんはサッサと出て行ってしまった。それから倶胝は一晩中考えた。男一匹、あんな尼さんに好いようになぶられて、一言も挨拶出来ないとは、何と情けないことか。こんな事で法衣を着ている資格はない。どの面提げて寺に居れるのか。よし、明日になったらもう一度行脚に出ようと決心をした。

その夜、夢枕に土地神が立ち、「何もわざわざ余所へ行くことはない。近いうちに肉身の菩薩が来られるから、待っているが良い」とお告げがあった。四、五日経つとそこへ天龍という和尚がやってきた。夢のお告げの菩薩とはこの方に違いないと恭しく礼拝し、例の一件を話した。「何と言ったらあの尼さんは笠を取ったでしょうか。」と尋ねると、この天龍という和尚は指を一本グイッと立てた。倶胝はそれを見て忽然と悟りが開けた。以来、倶胝和尚は、「和尚さん禅とは一体何でしょうか」とか、「私は今かくかくしかじかの悩みを抱えて困っているのですが、どうしたら良いでしょうか。」など、誰が何と言って来ようと指一本を立てて示されたという。その指一本に何の意味があるのか、それは一体どういう事を示しているのか、などといろいろ質問したくなってくるであろう。
  話は変わるが、私の師匠の梶浦逸外老師は実に方便の下手な方であった。入門した当時は碧巌録を提唱されていたが、どの則でも話は何時も同じだった。いくつかパターンがあり、最初の二、三語聞けば、後は役者の台詞のように聞いているこちらでもすらすら言える程だった。同じ話を耳にタコが出来るくらい繰り返し聞かされるうち、「またか!」と思い、殆ど右の耳から左の耳へという感じになって聞いていた。現在私も雲水に碧巌録を講じているが、幾ら何でも師匠のように、どの則も常に同じ話というわけにはいかない。少しでも理解し易いように様々方便を尽くし、手を替え品を替えしてやっている。それでは私の方が師匠より語録の真意を伝えることが出来たのかと言うとそれは疑問だ。私にしても何十年も昔、師匠が繰り返し言われたことが、今頃になって心に染み、「本当にその通りだな!。」としみじみ思うことがある。これは譬えれば玄米のようなもので、しっかりと咀嚼しないと滋養にはならないのだ。縦に噛み横に噛み味が出るまで噛み尽くした者だけが味わう事が出来るのである。師匠のあの時の甲高い声や息づかいまで、今尚肌に伝わってくるような気がする。真理は一つであり、それは話をどう伝えて行くかなどということは問題ではない。腹から真情を吐露する生きた人間の真撃な姿そのものが伝わってゆくのである。
 ところでこの倶胝竪指の話には後日談がある。一人の小僧が街へ買い物に行った。その時、「お前のところの和尚は人が何を言っても返事は決まっているそうだな。どんな返事をするのじゃ。」と、冷やかされた。そこでこの小僧、何時も見慣れたように指をにょきと立てた。寺へ帰り和尚にこの事を報告し、「指を一本立ててやりましたわい。」と指を立てると、倶胝和尚は刃をもってその指をちょん切ってしまった。

「いたたたたっ!」と出て行こうとした小僧を、倶胝は、「おい!」と呼び、振り向いた途端指を一本立てた。そこでこの小僧は忽然と悟った。何事も人真似は駄目だということである。ところがこれが意外と多い。僧堂でも師家が交代した場合、大抵は弟子が次ぎに就くわけだから、周囲の者達はお追従半分で、「いや!前の老師さんとそっくりですね〜。」などと言う。言われた本人も悪い気はしないので、殊更にそっくりな真似をする。しかし真似はどこまでやっても真似でしかない。本人の腹から出たものではないから、どこか可笑しい。こういう類の見苦しさは、つまり本人の自信の無さの表れであり、折角の徳も失うことになる。それぞれ個性でやるのが一番で、堂々と自分の流儀を押し通すべきである。そうでなければ倶胝に指をちょん切られることになる。

 

 

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