きずな
 
 数年前からであろうか、私は山深い村でひっそりと一人暮らしをしてみたいと思い始めた。半年くらいは深い雪に埋もれたような所なら尚良かろう。勿論今は現役の師家でそんな暢気なことは言ってられないが、いずれ引退して楽隠居の身になったらそうしたいと思いを巡らせた。そこで早速にも予め何カ所か候補地として決めておいた方が良いだろうと考え出掛けることにした。ともかく人里離れた山奥で雰囲気の良い所はないかという目的で北陸から東北方面へと気の向くままに車を走らせた。この旅行は目的もさることながら、旅自体が暢気なことも大変魅力的で、私の気分は出発前から浮き浮きしていた。出来るだけ辺鄙な村落を選んで訪ね、夕方になれば近くの温泉宿に泊まる。およそ一週間程の旅であった。

そもそも何故この様なことを私が考えるようになったかと言うと、毎日早暁の起床から就寝まで悉く時間に縛られる時計の振り子のような日々に、空しさを感じるようになったからである。何十年もこういった生活を続けてきたので人が思うほどに苦痛ではないが、好きな時に寝て起きて、好きなように暮らしてみたいというのも偽らざる心境である。成すべき事を成し終えた後ならば、こんな我が儘な余生も悪くないと考えたのだ。ところが驚いたことに気軽で暢気な旅だったにも拘わらず、私はこの旅の間中、地獄の底に引きずり込むまれるような寒々とした孤独感に襲われてしまった。旅から戻り久しぶりに我が居室に坐し、この不可解な心の変化は一体どういうことかと考え込んでしまった。やがてその理由はこんな事ではないかと思うようになった。 私が岐阜へ来て早や二十七年が経つ。見ず知らずの土地で最初は知り合いもなく孤軍奮闘の日々であった。しかし親しく声をかけてくれる友人も年々増え、今では旅行に誘って貰ったり、お祝の茶事によばれたり、「今夜は一杯やろうかね!。」などと誘ってくれる気軽な仲間も出来た。年月の積み重ねは私を取り巻く縁の糸が縦横に張り巡らされ、有形無形に孤独な私を温かく包んでくれていたのだ。普段は特別意識はしないが、今回旅に出たことで、それらの糸が悉く断ち切られた時、人間はこんなにも寂莫たる思いになるのだと実感した。私は親戚縁者知人友人、多くの人達に囲まれて居ることに改めて気づかされたのである。
  ところで、先日恒例の断食道場へ行ってきた。断食なので当然腹は減り、何も食べさせて貰えない割にはしっかり費用も要る。私は特に腸の反応が鋭敏なせいか、おがくず風呂に入るたび猛烈な腹痛に襲われ、ある時など苦しみの余りドアーのノブを引き抜いてしまったことがある。だからもう来年こそは止めようといつも思いながら既に十六年も続けている。その理由の一つは人間でも機械でも一年に一辺くらいはオーバーホールが必要だという思いだ。体中のゴミを一度奇麗に流せば、本来の自然治癒力も屹度高まるに違いない。さらに主催されている先生の純で一途な底知れないパワーを目の当たりに出来るのも魅力である。既に古希を越える年齢ながらその成り切るさまは見事というほかない。期間中様々な話を聞かせて頂けるのだが、今回の雑談の中で偶然にも私が思っていたことと同じ話が出てきたのは興味深かった。
  三月、福岡で震度六強という激しい地震があった。道場の在る前原市周辺も家はバキバキと音をたて、あわや倒壊かというほどの揺れだったそうだ。大きな地震の恐怖はその後断続的に続く余震もさらに不安を増幅させる。約一ケ月後には震度六の大きな余震が起き、不安はますますつのる一方、ゆっくり休むことも出来ずにふわふわした気分がずっと続いたそうである。そこでこんな時にこそ日頃から書き留めておいた金言名句を読んでみたらどうかと思いついたが駄目。それなら、不安解消の為の音楽や小川のせせらぎや波の音などを集めた癒しのCDを聞いてみたらどうかと試してみたが、これも鼓膜から三ミリしか入ってこなかったという。

そんな悶々とした日々が続いたある日、家族や従業員七、八人とあり合わせの菓子でお茶を飲みながらテーブルを囲んだ。「あの時は思わず天井が落ちてきたら大変と両手を上げて支えようとした。」とか、「おがくずの風呂に入っている人は頭だけ出しているので、思わず近くにあった笊を被せようとした。」とか、「そんなバ力みたいな行動を取ってしまい、今から考えると吹き出しちゃうわね。」などと、みんなで大笑いした途端ストン!と、もやもやが一気に解消されたという。つまり家族や知人と心を通わせ深い絆によって結ばれていると感じた時、心は安らいだのである。我々は人と人を結ぶ強い縁の糸によって結ばれた空中に浮かぶ玉のようなものではないだろうか。だからそれを断ち切ったところに心豊かな人生などありはしないのだ。


 

 

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