もう十数年も前のことになるが、八十歳を過ぎた母が急に旅をしたいと言い始めた。若い頃は仕事を休んで旅行に出掛けることなど、まるで罪悪のように考えていたのでこの変身振りには驚かされた。体力的には二泊三日位の旅行が限界であったが、北海道や沖縄、奈良や厳島神社、瀬戸大橋等々随分いろいろな所へ一緒に出掛けた。旅の道すがら聞く母の昔話や、取り留めのないお喋りは私の心に深く染みた。今こうして数々の旅の想い出を振り返ってみると、母との二人旅が一番楽しかったように思う。それはどんなに美しい景色や美味しい料理よりも母と二人で旅をしたことが深く心に刻まれたからであろう。
さてある時この話を若い女性にしたところ、「私も同感です。」と言った。彼女は学生時代よりずっと海外旅行と言えばモンゴル一辺倒だというのである。そこで私が 「知人でモンゴルへ行った人から聞いたのだが、まるで何も無いところで果てしなく草原が広がるだけだった、と言ってましたよ。」 と言うと、「そこが良いのです。」と言う。彼女は何回か訪れるうちにやがて遊牧民の家族と親しくなり、ゲルに泊まりながら何日も行動を共にしたそうだ。電気だけはあるが、トイレもない。水も遠くまで汲みに行かなければならないから必要最低限しか使えない。従って風呂などは殆ど入れないという。「体中垢だらけになって不潔ですが慣れてしまえばこんなもんかですよ。それより家族の中で父親が最も尊敬されていること。長男は常にリーダーとなって実に良く兄弟の面倒を見ること。夏とはいえ朝は零度近くまで気温が下がり寒い中、何時間も馬に跨って放牧に出掛けたこと。夕食時には家族車座になって食事をし歌を歌ったこと。言葉が通じないので身振り手振りの遣り取りだが、どうも貴方も何か歌いなさいと言っているようなので、咄嵯のことで適当な歌が思い出せずオパケのQ太郎を歌ったら大変喜んでくれたこと。夜は満天に降るような星を眺めたこと。こうしたことから家族の原点の姿を垣間見、人間の幸せって何なんだろうと考えさせられ、自分と直に向き合えたこと等、どれを取っても新鮮でこれ程素晴らしい旅は他にはない。」と話した。彼女は遊牧民の素朴で単純な生活に直に触れることで、本来あるべき、貧しいが心豊かな生活という、人間の原点を垣間見、何とも不思議に心癒されたのである。爾来すっかりモンゴルが好きになって、暫く仕事が忙しく行けないと何だかむずむずしてくるほどだそうだ。彼女の外見は楚々とした大和撫子なので、この話しには驚かされた。
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