こころの旅
 
 僧堂では二月と八月は制間と言い、雲水は修行に一息入れそれぞれ暇を貰って自坊へ帰る。私もその時期に何処か海外旅行へ出掛けるというのが近年のパターンになっている。大抵は知人に誘われて仲間と旅をするか、或いは海外の知人宅を訪ね、そこから一緒に何処かへ出掛けるかの何れかである。初めの頃は出立日が近づくにつれうきうきと心が弾んで、その日が来るのを指折り数えて待ったものだ。しかし近年それほどでもなくなってしまった。これには慣れがあるのかも知れないが、それだけではないようである。旅に出ればその国の歴史を改めて学んだり、貴重な美術品や古代建築の数々、美しい景色を目の当たりにしたり、その土地ならではの美味しい料理など、どれを取っても素晴らしいとは思うのだが、何時も心の何処か物足りない感じなのである。この原因が一体何処にあるのか、ずっと考え続けていた。そんな時ふっと、それは旅の中で人と関わることがないからではないだろうかと気付いた。

 もう十数年も前のことになるが、八十歳を過ぎた母が急に旅をしたいと言い始めた。若い頃は仕事を休んで旅行に出掛けることなど、まるで罪悪のように考えていたのでこの変身振りには驚かされた。体力的には二泊三日位の旅行が限界であったが、北海道や沖縄、奈良や厳島神社、瀬戸大橋等々随分いろいろな所へ一緒に出掛けた。旅の道すがら聞く母の昔話や、取り留めのないお喋りは私の心に深く染みた。今こうして数々の旅の想い出を振り返ってみると、母との二人旅が一番楽しかったように思う。それはどんなに美しい景色や美味しい料理よりも母と二人で旅をしたことが深く心に刻まれたからであろう。
  さてある時この話を若い女性にしたところ、「私も同感です。」と言った。彼女は学生時代よりずっと海外旅行と言えばモンゴル一辺倒だというのである。そこで私が 「知人でモンゴルへ行った人から聞いたのだが、まるで何も無いところで果てしなく草原が広がるだけだった、と言ってましたよ。」 と言うと、「そこが良いのです。」と言う。彼女は何回か訪れるうちにやがて遊牧民の家族と親しくなり、ゲルに泊まりながら何日も行動を共にしたそうだ。電気だけはあるが、トイレもない。水も遠くまで汲みに行かなければならないから必要最低限しか使えない。従って風呂などは殆ど入れないという。「体中垢だらけになって不潔ですが慣れてしまえばこんなもんかですよ。それより家族の中で父親が最も尊敬されていること。長男は常にリーダーとなって実に良く兄弟の面倒を見ること。夏とはいえ朝は零度近くまで気温が下がり寒い中、何時間も馬に跨って放牧に出掛けたこと。夕食時には家族車座になって食事をし歌を歌ったこと。言葉が通じないので身振り手振りの遣り取りだが、どうも貴方も何か歌いなさいと言っているようなので、咄嵯のことで適当な歌が思い出せずオパケのQ太郎を歌ったら大変喜んでくれたこと。夜は満天に降るような星を眺めたこと。こうしたことから家族の原点の姿を垣間見、人間の幸せって何なんだろうと考えさせられ、自分と直に向き合えたこと等、どれを取っても新鮮でこれ程素晴らしい旅は他にはない。」と話した。彼女は遊牧民の素朴で単純な生活に直に触れることで、本来あるべき、貧しいが心豊かな生活という、人間の原点を垣間見、何とも不思議に心癒されたのである。爾来すっかりモンゴルが好きになって、暫く仕事が忙しく行けないと何だかむずむずしてくるほどだそうだ。彼女の外見は楚々とした大和撫子なので、この話しには驚かされた。

 我々はめざましい科学技術の発達によって便利で効率的で且つ快適な生活を享受出来るようになった。素晴らしい音楽や芸術を味わうことも出来る。しかし果たしてそれが本当の幸せへと繋がっているのだろうか。世界中には学校へ行きたくとも行けない沢山の子供達が居る。一方で、何十万もの不登校児を抱える日本とは一体どういう社会なのだろうか。それは恰も猛スピードで走っている新幹線の快適なシートから、矢のように飛び去って行く景色をガラス越しに眺めているのと同じなのではないか。豊かさの中に埋没して実態が見えなくなっているのだ。嘗て私は四国遍路をてくてく歩きながら、何の変哲もない山道の景色に感動した覚えがある。歩いて移動するというのは非効率そのものだが、この速度でなければ見ることの出来ない世界があることを知った。「モンゴル人の目は何時も永遠を見ているが、日本人は瞬間をキラキラ見ている。」 と言った人があるそうだ。人生は当に旅。おぎゃ!と生まれて死ぬまでの精々生きて八十年間の旅路である。折角この世に生を頂いたのだから、人間が本来持っている無垢の姿と向き合い、心を研ぎ澄まし本当の豊かな人生を歩みたいものである。

 

 

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