さて現地に到着してみると、石垣島はまるで天国のようだった。日中二十六度で、テラスからは真っ白な砂浜と南国特有の独特な青い海が一望に見渡せ、そよそよと吹き抜ける潮風は当に私が望んでいた通りだった。さあ、今日から七日間じっくり腰を据え、堆く積み上げられた本を読みまくるぞと決め、即座にラフな格好に着替え読書を始めた。しかし一日経ち二日経つうちに、次第に最初感じた爽やかな気分は何処かへすっ飛んでしまい、段々と憂欝な気持ちになってしまった。これは一体どうしたことか、自分で思わぬ心の変化に戸惑った。
その原因は何かと考えるうちに様々なことが解ってきた。まず幾ら本を読みまくると言っても朝から晩まで一日十数時間、何日も続けていたらいい加減嫌になってくる。しかもホテルは図書室ではないから読書用の椅子や机、照明などが設備されているわけではない。誠に使い勝手が悪く、同じ姿勢でいるうち、肩は凝るし首筋は張ってくる。おまけにホテル特有の薄暗い照明で読み続けた為、目はしょぼしょぼになり、とうとう文字が歪んで見えるようになってきた。それでも此処まで来て怯んでる場合では無いと尚も頑張ったが、遂に根が切れてダウンしてしまった。のんびり好きなだけ本を読み、リラックスして大いに英気を養うはずが、結果はこの有り様で、這々の体で一週間ぶりに我が家に帰ったのである。
暫く落ち着いたころ、今回の旅行について総括してみた。そこで気が付いたことは、使い慣れた単布団にどっかと座り、机に向かう心地よさであった。少し手を伸ばせば様々な種類の本が私の好きなように並んでいる。気分を変えたければ、新聞を読んだり、雑誌に目を通したり、音楽に耳を傾けたり、テレビを見ることも出来る。此処にはバラエティーに富んだ私流の心地良さがちゃんとセットされていたのである。今までは当たり前すぎてそこに気付かず、何処かにもっと良い所があるのではないかと考えていたのである。
確かに美しい景色に囲まれたリゾート地の立派なホテルに泊まるのは良いかも知れない。しかしそんなものは少しの間だけで、暫く眺めていれば飽きてしまう。つまり人は外的な物では満足は得られないということだ。所詮は一時の変化を珍しがっただけで、本当の快適さではなかったと言うことである。
私は人に足(たる)を知らなければ駄目だと言ってきた。人間の欲望には際限がないからだ。しかしそう言ってきた自分自身が実は何も解ってはいなかったのである。出家して既に四十八年にも成るが、それでこの有り様、誠に恥じ入るばかりである。結局自分の顔は自分では見えないのだから、いろいろな機会を通じて、その見えない自分の顔を映し出して行かなければならないと解った。
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