遠忌
 
 妙心寺派では二年後に開山無相大師の六百五十年遠忌が催される。遠忌行事と言えば大抵は本山大伽藍の修復工事が行われ、その度に末寺の我々は特別寄付を絞り上げられるのだが、今回は今までの歴代遠忌で伽藍は全て修復が終わっているため、有り難いことに特別寄付は無い。そこで本山では宗門の人作りこそ最重要課題ということで、目下全国各地で住職の研修会が催されている。そういう折り私は静岡方面の会に講師として呼ばれた。以下はその時話したものである。
  無相大師には数々の逸話が残されているが、こういう話がある。はぼ同時代に活躍されたのが嵐山天龍寺の夢窓国師である。七朝の師と言われ常に宮中に参内し天皇にご説法されていた。国師の弟子は何と一万人も居たと伝えられ、当代きっての高僧として名を成していた。一方妙心寺の無相大師はポロポロの伽藍に住み常に作務着姿で境内の草引きや掃除をされていたという。嵐山から宮中に参内するため一条通りを東進すると、妙心寺の北門が丁度通りに面している。ある時、夢窓国師が門前を通過する時、弟子に向かって、「わしは今こうして宮中にも参内し天皇を始め多くの人達から崇め奉られておるが、やがて何時かこの妙心寺さんが栄え日本国中に教えが広まるぞ。」と仰ったそうである。なるほど夢窓国師が言われた通り六百五十年後の今日、臨済宗門下で妙心寺派は約三千五百ケ寺の大教団となり、一方天龍寺派は約百ケ寺足らずである。この違いは何かと言えば、無相大師は世俗の事には一切関わらずひたすら修行専一に勤められたからで、同様なことが永平寺を開かれた道元禅師にも言える。師は鎌倉幕府の中心地円覚寺の塔頭(たっちゅう)白雲庵に居られたのだが、都の世塵を嫌い山深い越前に籠もられた。その曹洞宗は今や壱万五千ケ寺という大教団に成った。

  今回そういう開山さんの遠忌に当たり、もう一度六百五十年前の精神に戻って修行の大切さを再確認し、お互いの資質を高めようというわけである。しかしただ講師を呼んで話を聞いたらそれで良しというのでは何処か間違ってはいまいか。我々師家は本山に対し事あるごとに僧堂歴三ヶ年以上で住職資格を与えてはどうかと要望するのだが、未だに実現されない。確かに大きな組織になればなるほど寺院の事情も様々で、修行より日々の生活を支えて行くことの方が先決だと言う寺院があるのも事実で、これを全く無視するつもりはない。しかし一方では相当檀家も有って住職も若く、まだ幾らでも修行できる条件が揃っているにも拘わらず、必要最低限の僧堂歴でさっさと帰って行く現状は嘆かわしい限りである。別に規則違反している訳ではないのだから何んの文句が有るかと言われればそれまでだが、つまりこれは僧侶としての良心の問題なのである。新聞の三面記事を読んでも今まで考えられないような凶悪な犯罪が次々に起こっている。そういう質の悪い社会だからこそ一層宗教家としての在り方が問われるのである。現在我々に最も求められていることは無相大師の修行を継承して行くことで、それはつまり皆が僧堂へ帰って修行し直すことである。そう言うと、忙しくてとても僧堂へ修行などに行っている暇はないと直ぐ言いだす。解らなくもないがそこを何とか繰り合わせ、例え勤めている者でも有給休暇を使ったりして年に一度くらいは大接心に参加する。そして嘗て自分の修行した僧堂で新到さんと共に坐って初心に返って貰いたいものだ。学問知識だけなら今や在家の人の方が僧侶より余程うわまわっている。しかしどんな理屈より、禅の実地の修行以上に適うものは無い。禅僧の一番の強みはこれ以外になく、無相大師への報恩の行は唯一これだけと信ずるものである。

   現在どの業界でも一度資格を取ってしまった後、何もしないで永久に保持できるなどという甘い体質の処はない。常に何らかの方法でチェックを受ける。そうしなければ社会的信用が得られなくなるからだ。ところが宗門の場合はどうかと言うと、殆ど無いのが現状で、これは組織としての欠陥ではないか。必ず何処かの時点で再審査や適性検査を受けなければ続けられないシステムが必要不可欠と思う。こんな事を言うと大抵は 「高山植物」と揶揄される。つまり高い山の天辺で咲いている時は美しいが里に下ろすと途端に枯れるという意味で、師家は世間知らずで社会の苦労を知らない典型のように言われている。人間は寝貯め食い貯めが出来ないと同様に、修行貯めも出来ないのだ。幾ら過去に血の滲むような修行をしていたとしても、空中に文字を書くようなもので、側から消えて無くなる。だから常に雲水修行を忘れず続けて行かなければならないのだ。これが実行されてこそ無相大師に対する真の報恩底となるのである。

 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.