レ・ミゼラブルでも十四年間その役にのめり込み、公演が終わると連日精も根も尽き果てていたそうだ。しかし舞台の幕が下ろされると同時に感激した観客が総立ちになって三十分間も拍手が鳴り止まず、苦労が多ければ多いほど喜びも多く、身の毛もよだつ程だったと目を輝かせて言っていた。後日、彼がそれ程のめり込むミュージカルなら、是非私も見てみたいと思い、早速名古屋中日劇場へ出掛けた。そのエネルギッシュで躍動感溢れる役者達、場面展開の妙、主役のバリトンの声、少女コゼットの可愛らしさ等々、約三時間半の公演は素晴らしいの一語に尽きる。今回は残念ながら滝田氏ご本人のジャン・バルジャンを見ることは出来なかったが、さぞ素晴らしい出来だったに違いない。それにしても俳優という仕事も楽ではないというのが素直な感想である。
ところでその折り太胤師に上手な話し方についてご教授をお願いした。と言うのも現在薬師寺上位三役は全て岐阜県出身の方で、それぞれ定期的に来岐されて催される法話会は大好評を博しているからだ。一方地元の私にはその手の依頼は殆ど無く、「断り無しに門前辺を荒らし回らないで下さいね。」と冗談を言ったほどだ。つまり私の話がへたっぴーで面白くも何ともないからであろうが、そこでコツは何かお尋ねしたわけである。彼が言うには、「どうも禅のお坊さん方は難しい話しばかりされる。幾ら為になると言っても、聞いている相手の心の扉が開かなければ伝わらないから駄目です。まずはごく一般庶民のレベルに自分も下がって、くだらんような話しでもざっくばらんに話し、大いに笑わせ扉が開いたなと思ったところで、これだ!という最も伝えたい事柄をちょっと言えばいいのです。亡くなられた高田好胤師は四十数年間殆ど毎日のように全国を巡って法話されたが、二月は涅槃会のこと、三月は花会式のこと、四月は花祭り…という具合で毎年話題は一緒だったんですよ。それでも聴衆を引き付けて止まなかったのは、「話力です。」と仰った。話の内容もさることながら話しているお坊さんの存在そのものが魅力なのであろう。つまり中味のない奴が幾ら良さそうな話をしても人は簡単に見抜いてしまう。すると私は空っぽの箱男かという事になってしまうわけだが、それでは全く立つ瀬がないと思った次第である。
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