バスに揺られながら一時間半、正眼寺門前に辿り着いたのである。この日、私は出家のため伊深の正眼寺梶浦逸外老師にお目に掛かるため、はるばるやって来たのである。彼岸も過ぎたというのにぼたん雪が舞い木枯らしが吹き抜ける寒い日であった。和尚さんは用意してきた傘をさし、長靴スタイルで長い階段を上った。予め手紙で面会の予約を取っていたので直ぐお目に掛かることが出来た。細い廊下を幾重にも曲がり六畳間ほどの小さな部屋に通された。私はこのとき初めて禅僧に会ったのだが、相当イメージと違っていた。逸外老師はずんぐりむっくりの体型に無精髭を生やし、両耳からはもじゃもじゃ毛が生えていた。まるで錘馗さんのようで野人そのものの風貌には驚かされた。爾来この人と深いご縁に結ばれることになるのだが、この時は夢にも思わなかった。
あらかじめ和尚さんから相見の際には、何故お坊さんに成りたいのか必ず聞かれるので、その時はハキハキと答えるように、この老師さんはとても厳しい人だからぐずぐずしている者は大嫌いなのだ、と言われていた。先ずはお茶を一服頂くと案の定直ぐ聞かれた。遥か昔のことで、その時どう答えたのか、はっきりした事は忘れてしまったが、悩み苦しんでいる人を救いたいと言ったような覚えがある。今にしてみれば恥ずかしい限りだが、十八歳の頃の私にとっては、それが精一杯だったのである。
その時老師がこんな話しをして下さった。『昔、或る所に資産家の老夫婦が居た。しかし子供が居なかったので、何とかこの財産を受け継いでくれる跡取り息子は居ないかと思案していた。そこで親孝行をしたい者を求むと広告を出し募集することにした。すると翌日から続々と応募があり、我こそはとやって来た。そこで本当に親孝行をするのか確かめるために試験をした。すると全ての者が落第してしまった。そうこうしているうちに又別の一人の若者がやってきたので、件の試験である。それは裏の釣瓶井戸の傍らに連れて行き、明日一番鶏が鳴くまでにこの四斗樽に一杯水を汲めというものだった。しかしこの釣瓶の桶は二つとも底が抜けていたのである。さて一晩経って老夫婦が井戸端へ行ってみると四斗樽からは水が溢れていた。』 この話をされた後、老師は私に向って、「お前さんに聞くが、どうして他の者は汲めなかったのにこの若者だけが水を汲むことが出来たのか解るかね。」と問われた。しかし私は答えることが出来なかった。すると老師は「解らなくとも良い。儂も小僧になる時この話を師匠から聞かされ答えることが出来なかった。それでは教えてやる。例え桶の底が抜けていても一滴や二滴の雫は付いてくるではないか。だから繰り返し汲み続ければ四斗樽だろうが十斗樽だろうが幾らでも水を満たすことは出来る。お前がこれからする禅の修行はこれだ。才能など無くても良い。馬鹿になって倦まず弛まず努力し続けることだ。そこで肝心なのは水を汲む桶の底は抜けていても良いが、水を受ける樽の底は抜けていては駄目だぞ。」と懇々と諭された。
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