さて心理療法の方法には幾つかモデルがある。その一つが医学モデルで、例えば体調思わしくないような場合、まず医者に行き種々検査して貰う。聴診器を当てたり熱を測ったり尿の検査をしたりして病因を発見する。その後、注射や薬などを用いて病根を弱体化し治癒する。しかしこれとても注射や薬だけが病気を治すわけではなく自己治癒力が大いに関与している。医者や薬はあくまでも援助しているに過ぎない。心の問題も然りで、まず相談者の話を良く聞き原因が何処にあるのかを探る。そこで躾が悪いとか家族関係が旨くいっていないと解ればそれを改めて貰う。いわばこれが薬や注射に当たるわけで、適切な助言や指導によって原因を除去し問題を解決してゆくのである。ところがこれは方法論としては大変便利だが、実際殆どの場合こうは成らない。人間はそう簡単には変えられないからである。言われてすぐに改められるような人ならわざわざ相談になど来ない。改められないからそうなってしまったのである。人間は誰でも悩みや苦しみを抱えながら生きているものなのである。この世から苦しみが無くなることなどない。そこで真の解決法はその悩みを抱え込みながら自己成長し、苦しみと折り合いを付けつつ、自分らしい生き方を取り戻してゆくことなのである。従って自らの問題と向き合い解決しようという自覚の持てない人は決して悩みを解決することは出来ない。
中国のある地方が大干ばつに見舞われた。祈祷してみたものの一向に降る気配はない。とうとう困り果て最後に雨降らし男≠ノ来て貰った。男は「小屋を建ててくれ。」 と言うので作ったら、四日後に雨が降った。そこで村人達は感謝し、御礼を言ったところ、「自分のせいではない。私は何もしていない。」と言った。「自分がこの土地へやって来た時此処は天から与えられた秩序で生きていないと感じた。自然な状態でないからいけないのだ。自分は自然な状態で生きているので小屋の中でじっとしているうちに、四日経ったら此処も自然な状態に戻った。だから雨が降ったのだ。」と言った。この話はカウンセラーの理想的な姿としてよく引用される。世間にもあの人の前に立つと、特別な指導を受けたりしないのに、知らぬ間に心が楽になって自分らしく自然体になれることがある。これはカウンセラーから何らかの影響を受けて自己治癒力の成熟が促進されたからである。
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