しかしこの説明ではナーランダやヴィクラマシラー寺の消滅は説明できても、インド仏教全体の消滅を説明するには不十分ではないだろうか。なぜなら、寺院や僧侶が仮に全滅しても、それを支える信者層が存在していれば、十分復興可能である。またイスラム教徒はヒンドゥー寺院にも同様略奪と破壊を行っているのだが、ヒンドゥー教は現在もインド社会に根付いている。つまり十二〜三世紀のインドにおいては、すでに仏教はほとんど民衆の支援を得られておらず、わずかな例外を除き仏教は実質的には消滅していたのではないかということが考えられる。では何故仏教は民衆から遊離し衰退したのであろうか。その一つに自然衰退説がある。この疑問点について、社会背景や思想、地域性などの研究が中村元氏によってなされている。まずその内的原因として仏教はもともと合理主義的で哲学的な宗教であり、一般民衆に受け入れられ難かったこと。また呪術魔法のようなものを排斥したことなどがあげられる。大寺院の奥深いところで深奥で高尚な哲学を論議する仏教は一部の王侯や商人には受け入れられた。しかし、ローマ帝国の滅亡により通商で栄えていた支配階級が衰退し、経済的基盤を失い亡んでいったのと時期を同じくして、保守的な仏教も上層階級の支援を失い、同時に亡んでいった。つまり仏教には民衆の苦しみを救おうとする精神が乏しかったのではあるまいか。しかし、現在でも超世俗的傾向のある上座部仏教が東南アジア一帯に広まっている現実を見ると、十分納得する説明を得ることができない。また別な視点から見ると、仏教の平等平和主義がカースト制度で厳しい差別社会に馴染まなかったことや、仏教は日常レベルの儀礼をそのまま認めていたため、改宗に伴う精神的負担が少なかった事などがあげられる。しかし、これでもまだ十分な説明とは言えない。
十三世紀インド亜大陸で消滅した仏教は歴史的な背景が大きく関わっていると考えるべきではないか。その理由とし
は正統ヒンドゥー教への対抗勢力として機能してきた歴史的役割が小さくなったこと。さらに反ヒンドゥー教という役割をイスラム教に譲ったこと。それが故にインド社会において社会的な機能を失い、最終的には消滅したと言えまいか。信仰や文化の継承に、時代の趨勢や権力の動向が深く結びつく傾向がある。時と場合により、改宗は本人の意図とは全く無関係に、その属する集団の意向によって形成され、さらには宗教のみならず文明そのものも大きく変容してゆく。インドでの宗教は単に心の問題だけでなく、日常生活一つ一つの行為全般にわたって強い拘束力を持つものである。言いかえれば、人間存在の全てを根本的に変革してゆくものが宗教であり、宗教を根本的に変える以外に人を変える道はない。しかしこの様な社会に反旗を翻した者、それが仏陀なのである。
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