ある人がこんな相談にやってきた。既に家庭を持ち子供も二人いるというご子息さんだが、職場での配置転換で事務職から営業に回された途端、次第に会社を休むようになり、今では殆ど引きこもり状態だという。嫁も大変心配しており何とかしなくてはと思い、ご相談に参りましたということであった。果たして僧堂修行がどれほどの効果があるかは解らないが、ものは試しということもあるので、やってみて下さいと申し上げた。間もなくしてやって来た件のご子息さんを拝見すると口数も少なく、これでは営業はとても無理と思われた。しばらくは雲水と坐禅を組んだり雑巾掛けをしたり庭掃除をする毎日が続いた。そんなある時、古参の雲水が、「このまま続けていても立ち直れないように思います。『内観法』をやって貰っては如何でしょうか。」と言ってきた。これは元来、浄土真宗の特別な一派に伝わる修行法「身調べ」から、宗教色を取り去り、吉本伊信氏が創始した独特の自己修養法である。方法は一週間の宿泊形式で、新聞やテレビなど一切の日常的刺激を遮断し、一日十五時間、生まれてから現在に至るまでを二年から三年に区切り、両親や祖父母兄弟などから、「してもらったこと」「してあげたこと」「迷惑をかけたこと」の三つについて出来る限り具体的に思い出して貰う。一日一時間半から二時間くらいの間隔で面接者に思い出したことのハイライトを三分間程度で報告する。これを集中内観とよび欧米の心理療法と比べきわめてシンプルでかつ標準化された方法が特徴である。内観する人は幅一メートルの二枚の衝立の中に座り、先に述べたような作業をしながら、就寝やトイレ、入浴の時以外は原則としてこの中で過ごす。こう書くと普段の生活とあまりにかけ離れていて、とても厳しい方法のように思われるかも知れない。しかし朝、昼、晩と心の籠もった食事が出され、内観をする人が「主人公」としてとても大事にされるので、多くの人は最期までやり通すことができる。集中内観では、初めの三日間くらいは、雑念がわいて、「こんな事をして何になるのか」というような焦りも出て、集中できない人が殆どだ。しかしそこを凌ぐと四日目くらいからは次第に集中できるようになり、「こんな事まで覚えていたのか」と自分でも不思議に感じるようになる。さらに「してもらったこと」を明確に思い出すにつれ、「こんなにまで自分は大事にされていたのか」と感じ、自分が存在の根本から愛されていた感覚を経験する。そういう中から失った自信を取り戻し自らの力で立ち直ってゆくのである。さて内観法を経験した後、彼に会ってみると、見違えるほど元気を取り戻し、仕事に対する意欲も出て、これなら会社に復帰しても大丈夫だろうと感じられた。
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