これもやり過ぎれば黒色ばかりが目立ってしまい、しぶきの感じが出なくなる。その兼ね合いが誠に妙を得ている。「水と岩の際をよく見て描きなさい。」と言われたが、いざ描き分けてゆく段になると、なかなか難しい。また渓流のゴツゴツとした大小様々な岩も陰影が肝心で、「画面全体の陰影に繋がりがなければ駄目です。」とも言われた。つまり自然に出来る影には必ず統一感があるはずだというのだ。一見ばらばらに見える影も、却ってはっきり見えないように目を細めて見ると、全体像が浮かび上がってくる。その記憶の覚めないうちに紙に写し取ってゆくのである。また、いとしろ字上野という集落では田んぼと林、バックに山、一見何処にでもある景色を描いた。先生にどうしてこの景色を選んだのですかと尋ねると、「林の前のあぜ道に沿って連なる黄緑のラインが美しく、絵を引き立たせるからです。」と言われた。我々素人は得てしてスケッチポイントというと、直ぐに絵はがきのような構図をイメージするが、必ずしもそうではない。色の変化の美しさから選ぶというやり方もあるのだと知った。
今回の旅の最後は古川町、疎水沿いの旧家の連なる家並みを描いた。石橋に腰掛け三人並んで描き始めると、悠々と泳いでいた鯉が集まってきて、頻りにばしゃばしゃと跳ね上がった。まるで我々の絵を見たがっているようだった。画面中央に疎水を描き、右に家並み、左に石垣を描いた。これが聞きしに勝る難しさで、何軒もの家が急角度で連なっているので、描いているうちに何軒目の家なのか分からなくなりお手上げ状態になってしまった。「家を描くのは簡単です。法則を守って描きさえすれば、どうっと言うことはありませんよ。」と先生は仰るが、我々にはその法則とやらが一体どうなっているのかさっぱり分からず、最後にはやけっぱちになって、家も二、三件吹っ飛ばして描いた。ここでも立体感は陰影で表現するのだが、実際に見える影はそんなにはっきりしているわけではなく、これらを綿密に拾って描いてゆくのは至難のわざである。
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