絵に描いた餅
 
 「絵に描いた餅」という表現がある。どんなに上手く描かれたものでも、腹の足しには成らぬ。つまり何ら現実的価値を持たないという意味でよく使われる。あたり前のことだがどうしてこんな言葉があるかと言えば、日本人はどうも絵に描いた餅を過少評価する傾向があるように思える。例えば学問の世界で言えば、細かな発明や改良になると俄然才能を発揮するが、基礎的な理論体系を作ることは苦手である。知り合いの中国の留学生は日本に来て直ぐ秋葉原へ行く。電化製品は中国にも沢山あるが、矢張り日本製を買うのが憧れの的だそうだ。車などでも同様なことが言える。快適さ便利さ故障の少なさなど世界に冠たるものである。また外国へ行って困るのはウオッシュレットのトイレがないことだ。たとえ高級ホテルへ泊っても昔ながらのトイレが普通である。日常ウォッシュレットに慣れ親しんでいる者には、これが甚だ苦痛で、些細なこととはいえ結構重要である。さて話しが横道に逸れたが兎も角、ある程度の水準を行く学者は多くいるが、さてノーベル賞級になると、欧米諸国と比べ格段の差が出てしまう。確かに、食べると言うことから見れば絵に描いた餅の価値はないに等しい。しかし食べることの心配が無くなってきた現在こそ、絵に描いた餅の価値を改めて考え直す必要があるのではないだろうか。何時の時代も若者は現実離れした夢のようなことを考える。そんなことでどうして生活が成り立つかとか、お前には到底不可能だなどと、直ぐに大人の分別を押しつけるが、若者からこの気概が無くなったら価値はない。現在は無気力で怠惰に過ごすニートとよばれる若者が多いと聞くが、何故もっと絵に描いた餅を大切にしないのだろうかと思う。

我々宗門の世界でも同様で、僧堂修行二十年などというのは途方もないことで、最初は誰もやり遂げられると思うものなど居はしない。しかし絵に描いた餅を持つか持たないかで俄然違いが出てくる。困難に立ち向かった時、やり通せたか挫折したかは結果論で、ここで大切なのは夢を持ち続けることが出来たか否かである。
  例えば恋愛の場合こういうことが言える。「優しくて賢い女性」と巡り合い、三年間の交際の末、結婚に至る。ところが一年もしないうちに離婚したくなることがある。三年間にわたって見ていた優しく賢い女性は果たして本当の餅だったのか、それとも絵に描いた餅だったのか、さて一体どちらなのだろうか。ここで大切なことは、我々の心の中には、絵になりそうな餅が沢山あって、実際の餅と結びつく時、餅の絵姿がいろいろな様相を呈することである。「優しく賢い女性」は、彼が三年間会っていた彼女だったのか、または彼が心の中に描いていた彼女の絵姿だったのか、そこの判定が非常に難しい。我々は時に、特別製の素晴らしい餅を買ったと手放しに喜び有頂天になるが、何のことはない、絵に描いた餅にすぎなかったと気付き、これは騙されたと酷く落胆することがある。しかしここからが肝心で、そこで踏み止まって、三年間彼女に騙されたと考えるのではなく、自分の心の中で活動し続けた、「優しく賢い女性」という絵姿は、自分にとって何を意味したのだろうか、考え直してみたら如何であろうか。確かに彼女は偽物だったかもしれない。しかし自分の心の中に描いた一つの絵が存在し、優しさと賢さとを持って活動していた「事実」、その絵姿こそ、自分をエネルギッシュに駆り立てた原動力だったのだと、そこに価値を見いだすことは出来ないだろうか。我々は時に衝動的に何かが欲しくて堪らなくなることがある。あるいは、何か大切なものを手に入れたくて、他人から見れば馬鹿げていると思われても努力を払い続けることがある。そんな時の自分をよく見つめ直してみると、自分が手に入れようとしているのは、「餅」そのものより、それに重ね合わせている自分の心の中にある 「絵に描いた餅」のほうが、高価な価値を持っていることに気付くことがある。

 我々は「絵に描いた餅」を、それはそれなりに鑑賞したり値打ちを定めたり、ある時は冷静に「餅は餅」として評価することが大切なのではないかと思う。単に食べることだけにあくせくするのではなく、絵に描いた餅の鑑賞力を高めることが益々重要だと思うのだが如何であろうか。豊かになって食ってゆくことぐらいはどうにでも成る時代は、「夢を生きる」人間が少なくなった。僧堂で毎年入れ替わり立ち替わり入ってくる若者を見るにつけ、目先の餅にばかり目を奪われて、絵に描いた餅の価値を追いかける初々しさが見られないのは、国家百年の大計から言えば、誠に憂うべきことである。修行で大誓願・大憤志・大勇猛心と言うように、これなくしてこころざしの成就はない。「絵に描いた餅」は何処かで生きることの原点と繋がっているように思えるのだ。

 

 

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