私は般若会という座禅会を興して今年で二十四年目になる。その間殆どの会員は同じ顔ぶれで、年間十五回ほど話しをするから、計算すると今までに三百以上の話をしたことになる。幾ら手を変え品を変えと言っても、自ずから限界があり、そこでもうこの辺で、話題のない時はその分坐って貰ったらどうかと考えた。しかし吉丸先生の話を聞いて、間違いだと気づかされた。先生の変わらぬ講義を拝聴して、もう十数年にも成るが、古びたと感じたことは一度たりともないからである。それは何故かと考えた。あくまで真理は一つなのだから変わりようがない。さりとてレコードのように全く同じ繰り返しというわけにもいかない。そこでその辺を意識して先生の話を聞いたところ、解ったことが一つあった。それは同じ事の繰り返しでも一回一回、先生が「成りきって」話をされているということだった。こういう道場へ来る人は大抵が西洋医学からは見放され、もうどうにも成らなくなって駆け込んでくる人達だ。私のように別にこれといった病気のない者は
希で、心身共に病んでいる者が多い。そういった人達を励まし元気づけ、病に立ち向かってゆこうという気力を起こさせるには、道理を説いて納得させること以上に、弱った心に溌刺としたパワーを注いでゆくことが最も大切になる。道理や理屈などはただのスローガンに過ぎず、それが実行されなければ絵に描いた餅同然である。昨年起きた某洋菓子メーカーの不祥事のようなもので、きっと社内の各所に、厳正なる品質管理をうたった張り紙は、いくらでも有ったに違いない。しかしそれが一向に守られなかったということは、つまりその具体的方法や手順が明確に示されていなければ、全く意味を成さないということなのだ。
健康についても同様で、こうすれば良いなどという話しや情報は本や雑誌、或いはテレビラジオなど、私たちの身近に溢れている。しかしそれはスローガンを書いた張り紙と同じで、網膜や鼓膜から一ミリ入ったところで雲散霧消する。では心深く浸透するには何が必要かというと、それには信念を持った人間の生きたエネルギーが不可欠であり、それが伝達されるか否かで決まる。相手の心に深く響かなければ駄目だ。その為にはただひたすら対する者に「なり切って」ゆく以外に方法はなく、当然そこには信頼関係が生まれて来なければならない。ここで重要なことは、「人柄」である。誰がそれを言ったのかが鍵を握ってくる。
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