ところが、お釈迦様の偉いところはここからだ。普通の人間なら現状に満足して人生事足れりで終わってしまうのだが、これだけでは決して満足されなかった。一歩外の世界を見れば、元気だった者もやがて病み老い死んで行く。つまり生老病死の四苦に気づかれたのである。この人間の本来的な苦しみを解決せずに、真の幸せはないと思われ、ある夜二、三の侍者を従え、地位も財産も家庭も全て捨て忽然と山に入られたのである。これを現代版に訳せば蒸発で、お釈迦様という人は随分身勝手で、家内子供を泣かせてどうするんだと言いたいくらいだ。しかし個人的な小さな幸せよりも、人類全体の救済というもっと大きな視野での生き方を選択されたと言うことである。私も十八歳の時、親や兄弟の反対を強引に押し切って家を飛び出した。その点周囲に心配をかけ、不幸にしたという意味では似ていなくもないが、お釈迦様と比べては誠に不遜を免れない。
さて、お釈迦様は前正覚山に入って行者のもと、凡そ九年間、難行苦行された。しかし遂に悟りを開くことは出来ず、山を降りられた。そこで尼蓮禅河の中州の村に辿り着かれ、村の娘から乳粥を供せられ、元気を取り戻すことができたのである。糸も張りすぎれば切れてしまう、緩んでいては良い音色は響かぬ。張り過ぎず緩め過ぎず、程良いところが大切、という娘の歌を聴き大いに感ずるところがあった。仏教の根本精神はこの「中庸」である。師匠は、「禅の修行というと直ぐに、前に立ちはだかる壁を片っ端からぶち破り、勇ましく突進して行くが如くに思うか知れないが、決してそんなものではない。体を痛めつけるだけが能ではなく、時に労らなければならない事もある。孜々兀々とした、地道な努力の積み重ねが肝心なのだ。」と言った。
さて、日々紙面を賑わしているイラクのスンニ派とシーア派の際限のない抗争、一体彼らはいつまでこんな事を続けるつもりなのだろうか。はたしてこの先に平和が訪れるのだろうか。こういう状況を見るに付けても仏教とイスラムの違いが一層際だつ。どちらか一方が善で他は全て悪というような極端な考えに走ってはならないのだ。一見あいまいで優柔不断に思われるが、これこそが二十一世紀の地球を救うキーに成ると思う。
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