今回の旅で特に印象深かったのは、白雲守端禅師ゆかりの海会寺であった。湖北省黄梅に至る道に白雲山の入り口がある。小川のような玉帯河に沿った細い未舗装の道路をゆるゆるとバスは進み、漸く門前に到着した。嘗て盛んだった時代は奥行きだけでも四キロもあり、山門まで馬で行かなければ成らなかったらしいが、現在は天王殿と大雄宝殿、左側に尼僧たちの宿舎が建っているだけだった。この寺は故趙僕初中国仏教協会会長が学んだ寺としても有名で、寺の復興にも大いに氏の支援が期待されたのだが、志し半ばで氏が逝去されたため、資金の調達の目途も立たない状態だという。現在は尼寺になっており、文化大革命ですっかり破壊された寺を尼僧さん達の手で復興したそうである。山から石を切り出し砂を運んでコンクリートで固め、柱を削り苦しい作業だったという。経済的にも困窮し、作業中でも夕食抜きに成る事が何度かあったようだ。周囲の信者さん達も同様に貧しく、辺りの家を見ても軒が波打っているような状態である。尼僧さん達は現在十九名おられるそうで、内三名は近くの仏教学院で目下勉強中だそうだ。この寺が嘗て高僧の住した大切な寺であるということを誇りにし、清貧に甘んじ頑張って居られる姿には本当に胸の熱くなる思いであった。心づくしのお茶やお菓子を頂戴した折り、接待室に掲げられていた七堂伽藍の誓える絵図面に、将来はこの様に復興したいという心意気がうかがわれ、頭が下がる思いであった。
次ぎに安徽省貴池市南泉村にある南泉院跡を訪ねた。貴池市内を通過し更に柵い道を進むとついには行き止まりになってしまい、この辺りが南泉村だという。小さな集落があったので、村人に南泉院跡は何処かと尋ねると、中年の男が名乗り出て、俺が案内してやるとすかさず右手を差し出した。何がしか案内賃をよこせと言うことらしい。我々一行がぞろぞろとその男の後について集落の細い道をしばらく進むと、遂には行き止まりになった。すると案内の男は一軒の民家を指して寺があったところだという。私は予め江松軒が訪れた時の記録を読んでいたので、「こんな處ではない。周囲は竹薮になって数メートルの石造りの塔があるはずだ。」と言うと、それなら別の場所だと言い、さらに山の中の道なき道を掻き分け進んだ。前日の雨で下はぐちゃぐちゃ、靴も作務衣も泥だらけになって漸く辿りついた。
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