第一日目、まずは市内から山道に入り何処まで続くのか心配になるほど走って漸く偽山の麓に広がる密印寺に着いた。ここは偽山霊祐禅師ゆかりの寺で、規模も大きく境内も整備され立派だった。次ぎに石霜楚円禅師の崇勝禅院、ここまでで夕方になってしまったのでホテルへ戻って夕食を摂り一日目を終えた。
翌日は市内にある嶽麓山へ、円悟克勤禅師の寺である。急斜面の狭い境内には建物がひしめいており、ちょっとした観光寺院といえる。そこから約百二十キロ走って衡陽へ向かった。市内に入り小型のマイクロに乗り換え、細い山道をぐるぐる回りながら奥へ進むと、「磨鏡台」が現れた。これには面白い話しが伝わっている。懐譲禅師の元で修行していた馬祖が一生懸命坐禅を組んでいると、懐譲禅師が、「何をしているのだ?」と聞いた。「坐禅を組んで仏になろうとしています。」すると懐譲は瓦を石にこすりつけて磨きだした。それを見て馬祖は、「何しているのですか?」「鏡を作っているのだ。」「そんなことをしても鏡は出来ませんよ。」「お前が坐禅を組んで仏になると言うのだから、瓦を磨けば鏡になるだろう。」馬祖は大いに感ずるところがあったという。縦横一間ばかりもある大きな石には窪みがあり、まさかこれが擦った跡でもあるまいが、一応そう言うことになっているそうだ。
三日目はバスで山道をくねくね曲がりながら二百三十キロ、萍郷へ。一時間もすると、突き当たりの急斜面のわずかな土地に小さなボロ寺が建っているのが見えた。楊岐山普通院で、もともとは廃寺だったが、別相と静誠尼によって復興され、現在は八十三歳の老尼と二十代の若い僧によって護られている。十年後にはこういう寺になりますと大伽藍の絵が掲げられていた。総予算は一億元だという。天井を見上げると空が見えるような現在の建物からは余りにもかけ離れた大構想に度胆を抜かれた。何かご意見をお聞かせ下さいと言われたので、失礼ながら、「身の丈にあった計画にされた方がよろしいのでは…。」と申し上げた。梨と大きな蜜柑を沢山出して下さったので、皆で遠慮なく頂いた。
翌、四日目は先ず百キロ移動して仰山慧寂禅師の寺へ向かった。十数年前にこの地を訪れた人の話では、村の入り口に天王殿があり、後はこれと言って何も無く、背後の山に墓塔が点在するのみと言うことだった。ところが今回行ってみると、山際に幾つか建物があり、その左側には目下建築中の巨大な大雄宝殿と禅堂が屹立していた。
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