時は経ち、今度は中学一年の頃である。当時兄と私は一部屋あてがわれ何時も机を並べて一緒に勉強していた。この時もある夏の午後だったが、私の机の前を一匹の蟻が横切っていった。じ〜っとそれを眺めながら思った。私たちは小さな同じ部屋で机を並べて同時に勉強している。ところが、蟻が机を横切るのを私は見ていても兄は見ていない。これは何と不思議なことだろう。つまり、私と兄はこんなに近くに居ながら、全く別の世界で生きているということになる。発端はたまたま蟻のことだが、考えてみると人は同じようで居て実はあらゆる場面で別々のところで生きている。しかし日常何の不都合もないと言うのも実に不思議なことではないか。さっそく兄にそのことを尋ねると、「言われてみればその通りだが、だからと言って、それがどうしたわけでもないし、よくわかんね〜な〜。」で話しは終わってしまった。
次はもっとずっと小さい頃のこと。我が家の裏に真言宗のお寺さんの墓地があった。当時は土葬が当たり前の時代で、時折朝から二人の墓堀りのおじさんが、一升瓶片手に現れると、その日は葬儀であった。おじさん達は、ぺちゃぺちゃお喋りしながら、合間に茶碗酒をあおり、暢気にスコップで墓穴を掘り出す。これをめざとく見つけた私は、一日中気になって仕方がない。当時の遊びは、ベーゴマ、メンコ、ジックイだったが、こんな日はちょくちょく遊びの仲間から抜け出しては墓穴堀りの進捗状況を覗きに行った。大体大人の背丈ほど掘ると完成で、間もなく棺桶が運び込まれ、埋葬となる。私にとってこれは是非とも見逃してはならぬ事柄で、しばしば覗きに行かなければならず、従ってそう言う日は遊んでいても気はそぞろ、忙しいことこの上なかった。やがて葬儀の行列が到着すると、読経が始まり、大人達は目を真っ赤に泣きはらしている。提灯や死花花を持ち、墓堀おじさん二人が荒縄で棺桶を釣り上げると、静に墓穴に降ろす。ここで泣き声は一段と激しくなり、各々が周囲の土を握って棺桶に掛ける。人渡りそれが済むとスコップで一気に埋め、こんもり土を盛り上げた上に、携えてきた品々を置く。最後に竹竿に釣った提灯をぐさりと差し込むと、それを潮に皆が引き上げて行く。私はいつも、誰も居なくなった墓地をじっと眺めていた。 |