祈願満願
 
昨年の六月岩手県を出立して、一年間全国托鉢行脚を志した尼僧が居る。本堂再建のために少しでも資金を集めたいというのが初志である。果たしてこの托鉢で得られる金額がどれ程になるのか分からないが、兎も角一年間托鉢をやり抜くという大願心を立てたのである。その心意気に感じた信者さんが、キャンピングカーを提供してくれたそうで、これで野宿はせずに済むわけで、有り難い申し出である。先ずは北へ向かい、青森から北海道へ、そこから今度は南下して、秋田・新潟・長野・岐阜へとやって来て、その折りうちにも寄ってくれた。既に何ヶ月か経っていたが、元気一杯溌剌としていたので、一応安堵の胸を撫で下ろした。しかし身長一五〇にも満たない小柄な女性が、本当に一年間も托鉢をし続けられるものか案じた。単に本堂再建の資金集めと言うことだけなら、もっと別な方法もあるのではないかと思ったからである。ところが我々外野席の意見など殆ど眼中になく、余程前から腹に決めた、一大決心のようであった。しかし生半可なことでは成就できないだろうと感じた。女性の一人旅は普通の旅行でも危険が伴うのに、キャンピングカーでの移動とはいうものの、大丈夫だろうかと思った。一時間ほど今までの托鉢の様子など話した後、別れた。そのうち、日々の忙しさに紛れ、この尼僧のこともすっかり忘れてしまった。

ある日、尼僧から六月一日に相見をお願いしたいという連絡が入った。実は私の心の中の半分は、途中挫折し、とっくに岩手へ引き上げているのではあるまいかと思っていた。ところがまったく以前と変わらず、元気一杯溌剌とした顔でやって来て、開口一番、「昨年六月一日に出立して、今日六月一日で、満一年になりました。」と頬を紅潮させ誇らしげに胸を張って言う。「本当にお前はやり遂げたんだな〜。偉い!」と褒めてやった。聞けばその後、山陽道から九州を一巡、日本海側ルートをたどって再び岐阜へ戻ってきたという。 キャンピングカーでの移動だから、どこでも休めるわけで、食料さへ確保すれば気楽な一人旅を満喫できそうに思えるが、実はそんな訳にもいかないらしい。夜間駐車の場合も、やたらのところへ勝手には止められず、いろいろ考えた末、道の駅の駐車場を利用するのが一番良いと解り、専ら利用したそうだ。そう言うところなら水の補給やトイレの利用も出来て、大変便利だと言う。風呂はどうしたのかと聞くと、時々銭湯へ行って汗を流す。いずれにしてもそれなりの配慮と、安全の確保が必要で、旅を続けるうちにだんだんと要領も覚えて、旨くいくようになったと言う。
さていろいろ道中の話を聞き終わったところで、「この一年間、托鉢修行で一番感じたことは何だったか。」と質問した。するとちょっと間を置いてから、「一日生きることが如何に大変かと言うことが解りました。」と言った。それはどういう事かと更に尋ねると、「田圃や畑や畦道で、必死に餌を啄んでいる小鳥の心境が少し分かるようになりました。」と言った。つまりこういう事なのだ。毎日托鉢を続けるのは大変なことで、もう今日は止めておこうかと考えることがいくらでもあったそうだ。一日中キャンピングカーで寝ころんでいたとしても、誰に憚ることはない。しかし、そんなことでは駄目だと考えるもう一人の自分が居て、弱い自分とそれを乗り越えようと必死になる自分との日々戦いだったという。一端負けたら今までの願心も努力も水泡に帰する。それを乗り越えて生きることの大変さを痛感したという。雨の中必死に餌を求めて啄む小鳥を見ていたら、ここで挫折したら小鳥にも劣ると思い、そう言う葛藤の日々が一番苦しかったという。では何が一番楽しかったかと聞いたら、朝から篠を突く大雨の日だそうだ。こうなると、とても托鉢に成らぬと諦めがつき、朝からごろりっと横になって読書をしたという。お前さんも連日托鉢で疲れただろうから今日一日はお休みしなさいと、天の神様が与えてくれた休息日だと思って、心置きなく休めたそうだ。

さて、この尼僧が日々葛藤した心の戦いなど、我々の日常生活では全くない。起きて食って寝て、一日は漫然と過ぎてゆく。このような日々から、一日生きることが大変だと思う者など一人もいない。万事易きにつき、のんべんだらりと過ごして、これで良しとしている。しかし我々は、実のところ何時切れるか分からないような細い糸の上で、身も心も崖っぷちに佇んでいるようなものなのではないだろうか。この尼僧は一年間の托鉢を通して、自分の心の弱さ醜さを直視し、自らに戦い勝ち抜いて行くことが、真に生きることに通ずると実感したのではないか。もともとは資金集めで始めた托鉢が、次第に自己との戦いに変質していったところは、誠に素晴らしいと感じた。「身も心も因縁の集まり故、常に移り変わり実体はない。願わないのに病み、望まないのに老い、欲しないのに悪を思う。一つとして自分の思うようにはならぬ。」この日々の葛藤の真っ只中こそ、我々が生きる世界なのである。

 

 

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