生死一如
 
 十四年前になろうか。ある日のこと、友人のSさんからフィットネスクラブへ入会しないかと誘われた。その頃私は専ら裏山歩きを運動にしていたのだが、雨の日や冷たい風の吹く日は出掛けるのも躊躇する。そんな折りの話しだったので、乗り気になった。早や二,三日後には誘いがあって出掛けてみると、施設は充実し、ゆったりしており、スタッフもとても親切で感じの良い人達ばかりだった。すっかり気に入って、早速入会の手続きをとった。それからと言うもの、何事も徹底するのが性分の私は、ほぼ連日出掛けては、ジョギングや水泳など、熱心に運動を始めた。O氏に初めて出会ったのは、そんな日々がしばらく続いた頃のことである。かねてより存じ上げてはいたものの、それ程深いお付き合いはなかった。しかしフィットネスクラブでたびたびお目に掛かるようになり、彼が猛烈な運動好きだとわかると、直ぐに意気投合した。ともかくカラッとした性分で、加えて何事にも親切でまめだった。社長として多忙な日々を送っている人が、良くそんなところまで気がまわるものだと感心させられたものである。そして何より良いところは、人を地位や職業で差別しないことだ。外国へ出掛ければフィットネスクラブの四人のスタッフにも、必ず土産にチョコレートを買ってきていた。「良くそんなところまで気が回りますね〜」と言ったら、「な〜に、別にどうってことないよ。」と言っていた。しかしこれは誰にでも出来ることではない。こういう事を垣間見るに付けても、益々Oさんが好きになった。

 それからも、たびたびフィットネスクラブで顔を合わせるようになり、私が運動も入浴も済ませ安楽椅子でくつろいでいると、「どうだね、今晩食事でもしようか?」と声を掛けてくれた。これは私の食事が日常、根菜類ばかりの精進だから、たまには栄養を付けてやろうという配慮からである。こういう誘いは以後もちょくちょくあって、どれだけご馳走になったか知れない。
M市のK病院のペット検診を紹介してくれたのもOさんだった。だからそのペット検診でOさんにクレームが出たと知ったときは驚きだった。しかし毎年定期的に受けておられたし、ミリ単位で癌を見つける画期的検査と聞いていたので、早期発見と確信していた。ところが病状は楽観を許さない状況と聞き一層驚かされた。それからの闘病生活は苦闘の連続で、抗癌剤投与も副作用のため途中断念したり、頭髪がみるみる抜けて、いっぺんに十歳ぐらい年をとってしまった。それでも一時期、岡山で受けた治療が大変良く、元気を取り戻された。その頃はフイットネスクラブへも戻って来られ、プールの中をぐるぐる歩いていた。私がその真ん中ですいすい泳いでいたら、「老師の泳ぎは良いね〜、余分な力が抜けて、きれいな泳ぎだよ。」と褒めてくれた。
しかし再び病状の悪化が伝えられ、名古屋へ再入院されたと聞いた。今度は相当深刻のようで、肺に水が溜まり、それが心臓を圧迫するので、抜いて貰うとしばらくは楽になるのだと聞いた。そんな折、ご長男と末娘さんの結婚式を同時に岐阜市内の神社で行うので、そのために名古屋からわざわざ列席されると聞いた。相当無理をおしてのことで、このチャンスを逃しては再びお目に掛かることが出来ないかも知れないと思い、ちょっとでも良いから顔を見たいと奥さんにその旨申し上げたところ、どうぞと言うことだった。当日式場の入り口でやって来るのを待った。やがて車が到着すると座席から支えられるようにして降りてきた。私に気が付くと一瞬にこっと微笑まれ、握手の手を差しのべたので、お互い無言のまましっかりと両手で握りしめた。顔色は黒ずんで生気もなく、嘗ての溌剌とした姿とは余りにも違いに、不覚にも涙がこぼれてしまった。それから僅か二日後には、亡くなられたという電話を頂き、早速お宅に駆けつけた。横たわるOさんの顔を覗いたら、口元が微かに緩み、今にもにっこりと笑い出しそうなとても穏やかな顔であった。
慌ただしく通夜葬儀が執り行われ、あっという間に日々が過ぎていった。私は気を取り直し、フィットネスクラブへ出掛け、いつもの通りプールで暫く泳いだ後、嘗てOさんが周囲を歩いていた通りを、私も歩いてみた。そのとき眼前にOさんの歩く姿がまるで幻のように浮かび、しかし次の瞬間、露の如く泡の如く消え去った。この時金剛経の一節が私の頭をよぎった。「一切有為の法は夢、幻、泡、影の如く、露の如く、また雷の如し、まさにかくの如き観を作すべし」。 

 人間はやがて死ぬと言うことを知っている。他の動物と決定的に異なる人間の未来を予見する能力は、夢や希望を抱くことに止まらず、その先にある死をも予見する。それでなおさら、人は生あっての死、死あっての生を思い、死生観を持ち合わせて生きて行く。しかしながら自らの死は意識の終わりを伴うので、死の終わりは他者の死を以て識る。人は死ぬと分かっていても、どうしてこんなに辛いのかと思うほど、日を経ってなおこみあげてくるものがある。作家眉村卓氏の言葉が胸に響いた。「人が亡くなると言うことは、その人の中にある自分が消えるということ」。気が置けない友人は、良くも悪くも、自分がどういう人間なのかを知る数少ない証人だ。だからこそかけがえのない存在なのである。

 

 

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