さて冒頭私が何故この様なことを書いたかというと、渡辺京二著、「逝きし世の面影」と言う本を読んだからである。これは我が国の幕末から明治を描いたもので、当時訪れた外国人が日本をどう見たかを、外国人の文献をふんだんに引用しながら書いてある。この本に出てくるヨーロッパ人の多くは、産業革命の恩恵を享受し、自分たちの文明に揺るぎない自信を感じていた頃で、人間は進歩しなければいけないという、進歩主義に染まっていた。それが日本に来て、自分たちとは全く違う価値観ながら、整然とした社会を目にして、驚いてしまったのである。勿論当時日本はまだまだ貧しい時代だから、ボロを着ていた人も多かった。しかしどんな貧しい農家でも、ひょっこり訪れた外国人に対して、「まあちょっと上がれ」と言い、縁側に腰掛けると奥さんが直ぐにお茶を持ってきたり、庭から綺麗な花を手折ってきたり、お新香を出してくれたりする。ヨーロッパだけではなく、世界中の多くの国で、こんなことをされたらお金を請求されると思ってしまう。ところが日本人は誰一人請求しない。日本人には当然だが、世界という視点からすれば不思議なのである。「日本は妖精の国のようだ」と言っている。明治二十二年に来日した英国の詩人エドウイン・アーノルドは日本を、「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ」と語った。さらに、「景色は優美で、美術は絶妙であり、神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」と述べている。
またこの時代に訪れた外国人の間では、女性に対する評価が非常に高い。ヨーロッパの上流階級の婦人に似ているからだ。例えばイギリスの中・下層階級の婦人には、粗野な人も多いようだ。ところが中の上以上になると、途端におしとやかな人が増える。服装も地味で、知性がありながら出しゃばったりせず静かに微笑んでいる。こうした点が日本女性に共通して見えたので、よけい高い評価を受けたのであろう。彼らは女性の外見を褒めているわけではない。「彼女たちはけっして美しくはない」とも書いている。陽気で純朴にして淑やか、生まれつき気品にあふれている点が魅力的だったのだ。しかも日本の場合は上流階級の女性だけではなく、全国津々浦々の女性がそうした美徳を兼ね備えていたわけだから、下品な美女より、愛嬌と気品のある不美人の方が、魅力的なのである。
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