私が小さかった頃、日本はまだ敗戦の痛手から立ち直っておらず、兎も角食い物がなかった。特に甘いものは極端に不足していて、子供にとってこれくらい辛いことはない。今どきは饅頭や羊羹、ケーキなどでも、甘くないのが喜ばれるが、当時旨いと言うことは甘いと言うことだった。田舎では葬式に、必ず大判型、大人の手の平ほどもあろうかという葬式饅頭が引き物になった。だから父が葬式に出掛けるときは、帰ってくるのが本当に待ち遠しかった。人の不幸を喜ぶというのも何だが、今日はお葬式があるという日は、学校が終わると道草は食わず、一目散に家に飛んで帰った。兄弟四人、首を長くして父を待つと、やがてにこにこしながら帰ってきた。早速大きな葬式饅頭を取り出し、俎板の上で均等に四つに切り分ける。姉や兄と顔を見合わせながら食べた饅頭は、一人で食べるよりずっと美味しかったことを覚えている。
戦後物の無かった時代に育った者なら、この話に似たような体験を持って居る人は屹度沢山いるだろう。食べ物の話しばかりで気が引けるが、父は子煩悩な人だったから、いろいろ工夫して我々に少しでも美味しい物を考えてくれた。当時昼は代用食で、殆ど芋だけだった。それもふかし芋ばかりでは美味しくないと、泥と藁を混ぜ水で練って、簡単な竈を作り、平べったいハソリを置いて、厚さ二センチ位にスライスした薩摩芋を並べて焼くと、これが珍味で、香ばしい焼き芋が出来た。父と手を泥だらけにして作った竈で焼いた薩摩芋を兄弟で分け合って食べた頃を懐かしく想い出す。
友達と子供の頃の思い出話を良くするが、分け合って食べると何故美味しいのだろうか。つまりこういう事ではないかと思う。嬉しい楽しいも、一人より二人、二人より三人と、みんなと一緒の方が大きくなる。それと同じで、二人で半分こすると、「おいしいなあ、おいしいなあ」と言い合って食べるから、美味しいが倍になるのではないだろうか。ふっと、今の自分の境遇を思った。私には分け合って食べる相手が居ないのだ。お寺だから勿体ないくらい沢山頂き物をする。大半は雲水達の茶礼になるが、少しは私も頂く。しかしどんなに贅沢なお菓子や果物でも、本当に美味しいと心から嬉しくなって食べたことはない。物の味は単に分量や豪華だというのではなく、心の働きで増すものなのではないだろうか。夏の終わり、いつも境内植え込みの剪定に植木職人が何人も入る。午前午後と一回ずつお茶とお菓子をだす。木陰で車座になって一休みすると、ハチはいつも職人さん達の仲間になって、ちょこんと座って、お煎餅を食い入るような目で見ている。すると必ず煎餅の欠片を貰って食べる。職人さんの一人が、「自分だけで食べるより、ハチが尻尾を振りながら食べるのを見る方が美味しいね。」と言った。これも半分この美味しさである。
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