百丈山の懐海和尚
 
 禅の始祖は一般にも広く知られている達磨大師である。今から千五百年前、インドからはるばる三年の歳月を費やし中国へ渡られ、初めて禅を伝えられた。次いで二祖慧可大師、三祖、四祖と伝えられ六祖慧能大師にいたって、初めて禅が世に広く流布するようになった。慧能大師から南嶽懐譲へ、南嶽から馬祖道一へ、馬祖から百丈懐海へと法は伝えられた。これが今から約千二百年ほど前の事である。百丈禅師は幼少の頃、母に伴われ寺に参拝したとき、本尊の仏像を見て、「これは何ものか?」と尋ねた。母親が、「これは仏である。」と教えたところ、「仏は人間に似ていて、少しも異なるところがないではないか。私は大きくなったら、仏になって、人から礼拝して貰おう。」と言って人々を驚かせたと言われている。

栴檀は双葉より芳しと言うが、のちに戒・定・慧の三学を兼修し、現在の僧堂修行の規律を定め、宗門の基礎を確立された方である。百丈禅師までは、多くは律宗の寺に入り込んで坐禅をしていたようで、次第に禅をやる者が増えるに従い、どうしても組織というものが必要になってきた。そこで「百丈清規」と言うものを作り、日々の行事、作法、礼儀などを定めた。まず伽藍の形式として、山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裡、東司、浴室の七堂伽藍の配置を定めた。また正月元旦にはどういう儀式をするのか、二祖三仏忌にはどういうお経をよむとか、大衆の供養の仕方に至るまで、事細かく定めたのである。このように、我々が今日やっている僧堂生活は、百丈禅師から始まったわけで、実質的に臨済宗の開祖と言える。この百丈清規の中には「普請」、つまり作務がある。インドの仏教では、出家は労働を禁じられていた。畑や田圃を耕すと、どうしても虫を殺したりして、殺生をすることになる。出家は殺生を厳しく禁じていたから、労働が出来ない。その代わりに、毎日托鉢に出て、頂戴したものを食べることにしたのである。ところが仏教が中国に渡り、禅が起こり、毎日大勢の者が托鉢に出ると、街の人は困ってしまう。そこでどうしても自給自足で食べ物を作らなければならなくなった。百丈禅師以来、禅宗ではこの作務を非常に重んじるようになったのである。ところでその托鉢だが、現在日本では都会なら殆どお金、田舎ならお米というのが普通である。これが上座部仏教のタイやビルマ、カンボジャ等の国の場合は、大きな鉄鉢を前に抱え、供養して下さる家の前に並んで、焚いたご飯や野菜や魚等のおかず、果物などを鉄鉢に入れて貰い、満タンになったら寺に戻る。一日二食なので、それを自分に付いている小僧と二人で先ず朝食を摂り、十二時前までに残りを食べる。つまり日本と違って、既に煮炊きしてあるものを頂くのである。供養したいと思う家では早くから準備をして、調理した品々を揃え、組み立て式の台の上にずらっと並べて、列を成しているお坊さん達の鉄鉢の中に次々に入れてゆく。供養する人達は地べたに跪き、その鄭重なことと言ったらない。この様に上座部仏教では今日でも決して作務などはしないのである。    百丈禅師にはこんな話しが伝わっている。晩年になっても、率先して作務に出られるので、周囲の者が体を心配して、再三休んで欲しいと申し上げるのだが聞き入れない。そこで鍬を隠したら作務に出られないだろうと、隠して置いた。百丈禅師は作務に出ようとしたが鍬がない。「皆に作務をさせておいて、自分だけが食事を摂ることは出来ない。」と言われ、その日から食事を摂られなくなった。ハンガーストライキの元祖である。ここから「一日不作一日不食(一日作さざれば、一日食らわず)」と言う、有名な言葉が生まれた。同じような言葉に、働かざる者食うべからず、というのがあるが、働かない者は食うなと言う上からの命令ではなく、勤労しない日は、私は頂きません、と言う自らの意志なのである。

また百丈禅師にはこういう問答が残されている。ある時、一人の僧がやって来て、百丈に問うた。「如何なるか是れ奇特の事」つまり、この世で一番有り難いものは何ですか。一番貴いものは何ですか、と言う質問である。さしずめキリスト教なら神と言うだろうし、イスラム教ならアッラーと言うだろう。では禅宗では何が有り難いのか。百丈禅師は即座に、「獨坐大雄峰」と答えられた。つまり、俺が今現に生きてここに坐っていることが一番有り難い。何と爽快な一句ではないか。まさに凛々たる威風四百州というところである。大宇宙を尻の下に敷いたような一語である。さてお金が有り難いか、屋敷が有り難いか、身分が有り難いか。いやいや、今ここに生きていることが一番だ。生きていればこそ、苦しみも喜びも味わうことが出来るのだ。最も貴いというのは、そういうことなのである。質問した僧は礼拝した。百丈はこの僧の背中をビシッ!と打った。よく解りましたと礼拝をした僧を、何故百丈禅師は打たれたのだろうか。この辺の消息が解らなければ、結局また外に向かって一番有り難いことは何かと、探し回る愚かを繰り返すことになる。「無理会の処に向かって究め来たり究め去るべし」である。これで会得できたから良いなどと思ったら、その瞬間から迷いが始まる。生きている限り、はてしなき道を究め続けて行かなければならない、これが禅なのである。

 

 

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