計るだけダイエット
 
 十年ほど前より人間ドックでいつも体重を十キロ減らし、さらに運動をもっとして、油ものを控えなさいと指摘される。私は毎朝、愛犬ハチの散歩を一時間、午後は裏山を歩くこと一時間、三食全て精進で、凡そ油ものなど摂取していない。にも拘わらずこの注意は誠に心外なのだが、数値上はそういう事なのだそうだ。近年は特にウエストは九十五センチにもなってしまい、お医者さんから、「正真正銘のメタボですな~。」と言われてしまった。だからどう言い訳しても、現実に体重が増え続けている限り言い訳ならぬと思った。かくして、若い女性が美容上痩せたいなどと言うのとはまるっきり別な理由で、私は待ったなし、減量しなければならなくなったのである。減量については、今までにも人に勧められていろいろ試みた。例えばバナナダイエット、これも半年ほど続けたが、芳しい結果は出なかった。また大豆ダイエットが良いと聞き、ただ茹でただけの大豆ばかりひたすら食べ続けたこともあった。この時は豆類のため消化が良くないせいか、やたらおならが出て困った。蒲団に潜って寝る癖のある私は、睡眠中ガス中毒になりはしないか真剣に心配したほどだ。兎も角これはまるで味が付いてないので不味いことこの上なく、無理をしていたから続かなかった。その他昼食を抜いてみたり、米飯を一切食べないようにしてみたりと、いろいろやったが、結局良い結果は出ず、すべて途中で挫折した。

そう言う悪夢の繰り返しが続く中、今年に入ってどういう訳か体重が増え始め、止まらなくなった。私の日課は起床から睡眠まで殆ど同じ事の繰り返しで、運動量も食事もほぼ同じなのにこの結果は、ほとほと困り果てた。原因の一つとして考えられることは、老化によって一日のエネルギー消費量が減少し、余剰分が体重増加の方に回っているのではないかということである。そんな折り、NHKの「ためしてガッテン」で、計るだけダイエットという方法があると知った。これは朝晩一定時間に体重計の上に乗り、折れ線グラフに記入して行くだけで、ジリッジリッと確実に体重が減ってゆくというのだ。この方法の良いところは、別に食事制限をするわけではないので、無理をしていないから、全く苦痛がないこと。また費用ゼロだから、懐が痛まないことである。ともかく騙されたと思ってやってみることにした。
始めて約一ケ月で二キロ減量できた。この間食事も運動も従来と全く変わらずである。何とも不思議なことだが事実そうなのである。まっ、厳密に言うと一ケ月半経過した現在の状況は、減量がぴたっと止まってしまい、一進一退を繰り返している。この先どう成るのか少し心配になってきたが、どうせ何も減量のために努力しているわけでもなく、只なのだから、駄目元と思って気楽に考えて続けている。
聞くところに依ると、この計るだけダイエットは、比較的男性は成功率が高く、それに比べて女性の場合は失敗する例が多いそうだ。原因は何かであるが、男性は折れ線グラフを眺めながら分析して行くのだそうだ。これが脳に何らかの影響を及ぼし、無意識のうちに無用な食欲をコントロールしているのではないか。これに対して女性は余りそう言う見方をしないらしい。「別腹」などと言っては満腹の上にさらにケーキなどをぱくぱくやる。これでは減量できるはずはない。「犬は胃袋で食い人間は脳で食う」と言う。腹が減ったから何か食べたいと思うのも全て指令は脳がしているので、本当に胃袋が空になっているのかどうかは別の問題だと言うことである。それが証拠には、同じ食事をしても、楽しい仲間と談笑しながらだったら二倍にも三倍にも美味しくなり、酒量も一段と増す。しかし嫌な上司と肩苦しい雰囲気での会食だったら、食も進まず、飲む酒も旨くはない。これなどを見ても明らかなように、人間は常に心で飲んだり食べている。こう考えてくると、先程私は何もしていないと言ったが、それは自覚的に何もしていないと言うことで、本当は知らぬ間に何事かしているのではないかと言うことである。唯それが無理なく自然で、減量などしているとまったく感じないから、結果何も努力せず知らぬ間に減量できると言うことになるのではないだろうか。

 話しは少々飛躍するが、以前四国遍路を歩いたことがある。相当修行だったが、だからと言って特別なことは何もなかった。ただ一つだけ解ったことがあった。それは、何の変哲もないごく当たり前のことの中に、汲めども尽きぬ深い味わいが籠められているのだと言うことである。これは人間本来の心が保っている、新鮮で心にはっと響くような感覚が、蘇ってきたからではないか。一般には日常の中に埋没して、心は殆ど死んでいるのではないかと感じたのである。しかしそれに気付くことは殆ど無く、心は普通に働いていると思っている。実は何も感じない、恰もロボット人間になってしまったのではないかということである。 計るだけダイエットからとんだところへ話しがいってしまったが、私はこの経験を通して、心の奥深さを改めて知った。「心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな」と言う時頼公の歌にもある通り、心に振り回され、ただ漫然と欲望の虜になって日を過ごす人は、それで本当に自分の人生を、生きていると言えるのだろうかと思うのである。

 

 

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