話は変わるが、三十数年前、私は始めてインド佛跡巡拝旅行に出掛けた。生まれて初めての海外旅行であった上、前日まで僧堂の臘八大接心に参加しており、相当強行日程の中出立した。旅の支度も十分出来ぬまま、厳寒の地からいきなり灼熱のカルカッタに着いた。夜中も十一時を過ぎ人もまばらな空港に降り立つと、姿形顔も全然違う人達ばかりで、それだけでも驚いてしまった。通関手続きを済ませバスに揺られて市内中心地に向かう車窓から見る風景はまるで別世界で、瞬間ここではまだ石器時代が続いているのかと思ってしまった。半裸の男達が焚き火を囲み、じっと蹲っている。そこからおよそ三十分ほどで市内に入って更に驚いた。薄暗い歩道に何かうごめく者があり、目を凝らすと、それは何十万もの人が横たわっていたのだ。自分の今までの日々と余りにも違いに仰天した。同じ地球上に今尚こんな生活をしている人が居るのだ。翌朝、ホテルから町の風景を眺め驚きは更に倍加した。昨夜見た何十万もの難民が一斉にうごめき、市内の道路を埋め尽くしていたのである。とてもこの世のものとは思えなかった。しかしこれは当時のインドの現実そのものなのである。お釈迦様の聖地にやって来て、これはいったい何なのだろうか、以降の旅行中ずっと私の頭から離れなかった。私が何故この時のインドを想い出したのかと言うと、鴨長明が方丈記を書いた鎌倉時代はまさにその時のインドとオーバーラップしたからである。鴨の河原には死体が散乱し、死臭が漂い、まさにこの世の地獄の有様であった。そう言う悲惨な現実を目の当たりにして、この方丈記は書かれたのである。
さて私のインド旅行は出立前のお釈迦様の聖地に巡礼できるという心踊る気持ちは、カルカッタの悲惨な現実を見て、一夜にして消し飛んだ。それ以降ずっと重たい気分で旅を続けていたのだが、ある時こんな事があった。お釈迦様の誕生の地ルンビニーへバスで移動中、片田舎でガソリンが無くなり給油することになった。周囲は地平線の彼方まで広がる大地、ぽつんと一軒建っているスタンドには人影はなく、運転手が辺りを歩き回り店主を捜しに行った。待てど暮らせど何処へ行ってしまったのか帰ってこない。インドというと灼熱の地というイメージだが、朝晩は相当冷え込み多分五,六度になっており、車内では寒くて仕方がない。そこで皆外に出てしばらく延々と広がるインド高原をを眺めていた。すると地平線の彼方から真っ赤な太陽が昇り始め、朝靄に包まれた空気を切り裂くように一条の光が我々を包んだ。思わず皆で、「きれいだな~!」と言った。その時バスに同乗していた運転手の助手と雑用係の二人が、直立不動の姿勢で朝日に向かって祈った。その敬虔な姿と厳粛さに私は心打たれた。何とこの人達は素晴らしい精神を保っていることか。天地に真っ直ぐに向き合い、今ある自分に感謝し、大地の恵みに頭を垂れ、ひたすら祈り続ける二人に、人間としての気高さを感じたのである。先程も書いた通り当時のインド社会の現実は極貧の真っ只中だったが、精神は決して貧しくはないのである。
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