さて先生の話の中で、大変興味深いことがあったのでご紹介させて頂く。人間界を仮に円に描き、もう一つ神仏の世界を円で描き、この二つの円が重なる、丁度ラグビーボールのような形の部分、つまり人間界と神仏界との交わる部分に生きている人、それは盲人・狂人・童子であると、江戸時代の人は考えていた。例えば盲人は目が見えないが、むしろ目が見える人間には見えない世界を見ることが出来るので、決して自分たちより劣っているとは考えなかった。職業もマッサージなどを盲人専門のものとし、健常者にはさせなかった。またちょっと言い方は語弊があるかも知れないが、所謂高利貸しなども、盲人の専門職とした。俗にも「借りるときの恵比寿顔、返すときの閻魔顔」と言うように、借りたときは良いがいざ返す段となると、途端に渋い顔になる。下手をすると踏み倒されることさえある。そう言うときにも、相手が盲人だと、借りた方も踏み倒し難くく、トラブルが起きにくいから、幕府は盲人の専門職にしたようである。つまり盲人は自分たちの住む俗界とは違い、神仏により近いところで生きているのだから、そう言う人を欺くことは出来なかったのである。
また狂人に対しても、精神病で救いがたい、単なる病人とは見なかった。例えばお能の演目にも、狂女が主人公で登場するものが幾つもある。「櫻川」では、我が子が人買いに攫われ、嘆き悲しんだ母親は子の行方を尋ね故郷を迷い出る。常陸の国磯部寺の僧が弟子にした少年を連れ櫻川に花見に行くと、流れる花を網で掬う狂女がいた。わけを尋ねると、わが子の名を櫻子と云ひ、川の名も櫻川というので、散る花も無駄にせじと思うて掬うのであると答えた。狂乱の花を掬う女に少年が櫻子であると告げると、母は夢かと喜んで一緒に故郷に帰って行く。ざっとこの様な物語だが、江戸時代の人は狂人は俗界に住む我々よりも、より神仏に近い、純粋で一途で心の汚れていない人達と考えたのである。だから狂女を主人公にした「花筐」など、幾つもの能が演じられ、そこに崇高な精神界を垣間見たのである。
また子供についても同様なことが言える。子供を単に自分の所有物とは感えなかった。我が子は自分で育てるとろくな人間にならないから、むしろ他人に育てて貰う方が良いとさえ考えていた。つまり佛の子なのだから、みんなで育てるのが良いのである。幕末から明治の始めにやって来た外国人が、日本では子供を皆で可愛がり、我が子も他人の子も分け隔て無く面倒を見ている姿に驚嘆したと書いている。現代では親が我が子を殺める、幼児虐待が度々報ぜられ、深刻な社会問題になっているが、これなども子供は自分のものだから、生かそうが殺そうが勝手だという発想である。こういう親の、人間的資質に問題があることは勿論だが、子供を自分たちの住む俗界より遙かに貴い、神仏の世界で生きている存在なのだという考えはまるでない。最近の学校で起こっている、父兄の学校に対する無茶苦茶な介入なども、発想の根幹に童子は佛の世界に住む者という考えが無いところに根本的原因がある。結果的にはそう言う親の無知が、学校教育を破壊し、子供を益々駄目にしているので、実に罪深いことである。
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