さてこの専門道場だが、様々な問題が出てきて、処理に頭を痛めている。一つは現代っ子の日常と僧堂生活に余りのギャップがあって、付いていけない子供が沢山出てきたことである。例えば食事一つとっても、朝食は麦粥、昼食と夕食は麦飯・味噌汁・沢庵のみ、また起床時間も午前三時か三時半、寝具もたった一枚の蒲団に柏餅になって寝るなど、どれ一つとっても、のんべんだらりと普通人の生活をしてきた者では、勤まらない。その他にも徹底した上下関係や独特のしきたりなど、慣れるまでに一,二年掛かってしまう。特に粗食で日々肉体労働が続くため、気力も充実していなければ、忽ち気持ちが萎えて、逃げ出すことばかりを考えるようになる。これだけならまだしも、いじめも蔓延し、二十四時間一緒の生活だから、毎日が針の筵となり、ますます気が滅入る。しかしこれらは修行する上には当然のことで、ガタガタ言うほどではない。こういう困難を乗り越えてこそ一人前の禅僧となる事が出来るわけで、当然の試練である。しかし此処で二つ問題がある。先ず第一はこの様な道場での修行を始めるための基礎訓練が全く成されないまま、いきなり入門してくることである。所謂小僧生活無経験者が大半で、生まれて初めて麦飯を口にしてビックリ仰天、喉を通って行かなかったなどと言う笑えない話しになる。さらに問題を複雑にしているのは、僧堂修行の何たるかも分からない母親が、道場内のことにまで、しゃしゃり出てくることである。坐禅中つい居眠りをして警策で叩かれれば。背中に青アザが出来るくらいはごく当たり前のことで、それにいちいちギャ~ギャ~言われたのでは修行などやっていられない。この程度に本山直訴などというのまであるらしいから、開いた口が塞がらない。まるで学校で問題になっている、モンスターペアレンツである。こういう連中に限って、あっちこっちへ吹聴しまくるから、いい迷惑である。然も修行を住職資格を取得するための方便にしている上、そこに何ら羞じる気持ちもない。この様な困った状態を打破するために提案だが、資格を取るための道場と、純粋に修行するための道場との二種類に分離して、別個の組織にしたらいい。この二種類の道場出身者は、宗門での扱いも完全に差別化して、僧侶としての歩む道も区別する。その為には地域の中核を成すような大寺は、本山直轄管理とし、人材も本山が指名の者にする。僧堂入門前には一定期間所謂小僧修行を義務付け、修行教育カリュキラムを履修後に入門させる。現在のようにお経もろくに読めないような者の面倒までやらされるのでは堪ったものではない。宗門が安易に人材を受け入れ、結局勤まらず挫折して行くのは、本人にとっても不幸なことであり、組織としても迷惑千万なのである。
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