いつから日本人は電気をムダに使うことが平気になってしまったのだろうか。その一つはアメリカ型社会への憧れがあるように思う。アメリカ型というのは、寒いところは暖房によって暑く、暑いところは冷房によって涼しくしようとする、自然をねじ曲げる考え方である。そのため化石燃料などのエネルギーを多量に使う。一方日本では昔から夏になれば、簾で風を入れ襖や障子を取り払って部屋の中の空気の流れを良くするとか、水を道にまいたりした。それらは太陽エネルギーの一つの循環の中での営みだから、環境に大変優しい。考えてみると、これまでの地球の歴史はあまりにも人間中心であった。一九五〇年頃から石油の消費が爆発的にはじまり、大きなひずみがあちこちに現れてきた。高度経済成長の時代は消費は美徳といわれ、人間は地球のあらゆる動植物や自然環境を容赦なく利用し尽くすことが進歩だと思っていた。そろそろ地球全体の調和を考えるべき時が来たのではないだろうか。効率優先という流れを、少し遅くしてみてはどうだろう。もっと物質的な欲望を小さくして、ものに囲まれていることが幸せとか、手に届くところに何でもあればいいという考え方を改める必要があるのではないか。昔の人はみんな不便で貧しく悲しく泣きべそをかいていたのかといえば、決してそんなことはない。その時代にはその時代の喜びがあり、それなりに幸福だったはずである。ほかの生物や地球を犠牲にして顧みない今の生き方は、どこか間違っている。
ここに節電人間と自他共にゆるす徹底した生活を長らく実践してきた鈴木孝夫という言語社会学者がいる。親戚や知人が亡くなると、形見分けで個人が身につけていたものを貰ってくる。靴下・ワイシャツ・下着・外套・帽子から靴まで、ともかく頂けるものはすべて頂いてくる。多くは使われずに処分されるものである。また捨てられた電気製品を拾ってきて直して使う。扇風機・ラジオ・洗濯機、ありとあらゆるものを拾ってくる。自分で直せないものはメーカーのサービスセンターに問い合わせ、多少のお金をかけても直して使う。人は古いものを直すより新しい物を買った方が安いですよなどと言うが、こんな言葉は絶対信じない。留学生が生活に必要な電気製品を揃えようとするとお金がかかって仕方がないというときは、よし俺に任せておけと安請け合いし、拾って直した電気製品一式をプレゼントする。大喜びだったことは言うまでもない。元は拾ったものだから自分の懐はほとんど痛まない。
また食べ物の廃棄では日本は世界一である。ある資料によれば食料全体の一〇パーセント、量にして一千万トンが捨てられているそうだ。コンビニでも作って何時間以上の者は捨てなければいけないという規則だそうだ。昔は本当に食べ物を大切にした。とにかく家庭でも捨てるものなどほとんどなかった。落っこちたご飯一粒でもムダにしようものなら酷く叱られたものである。
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