村長はパホームの希望を聞くや、ここには土地はいくらでもあるから、好きなだけ取るが良い。しかも値段は一日分で千ルーブルと決まっているという。一日分千ルーブルとは、好きな場所から日の出とともに出発して、一日中歩き回った後で同じ場所に戻ってくれば、それだけの土地があなたのものになるのだと言う。ただし一つだけ条件があって、もし日没までに出発点に戻れない場合はすべて失う。その夜パホームは、丸一日歩いたら大した土地が手に入るぞ、それをどう使おうか、いくら金が儲かるだろうかなどと思いを巡らした。翌朝まだうす暗いうちに飛び起きて小高い丘を目指す。村長はじめ村人たちも集まって来て、皆で日の出を待つ。パホームは村長の革帽子の中に千ルーブルを入れそこを出発点と決めた。やがて日が昇ると、すぐさま彼は東に向かって歩き出した。途中で曲がるたびに、持ってきたシャベルで穴を掘り、目印に木の枝や芝土をその中に入れてはまた歩き出した。行く所見る物すべてが欲しくなり、自分が余りにも遠く来すぎたことに気付いたときは、日もだいぶ西に回った頃だった。少し心配になった彼は、出発点の方角目指してまっすぐ急ぎ足で戻り始めた。しかし日はすでに西に傾き始めているというのに、目指す丘は影も形も見えない。不安にかられ走り出す。太陽は刻一刻と地平線に近づいてゆく。パホームはもう半狂乱になってひたすら走り続けた。やっと遙か彼方に丘が見え、赤い太陽の下部が地平線にかかってしまった。丘の上では大勢の人が男の姿を認めて手を振り大声を上げている様子が見える。彼は渾身の力を振り絞って丘を駆け上がり、倒れ込みざまにゴールの革帽子を摑んだ。村長が「えらい!あなたは望んだだけの土地をすべて手に入れましたぞ!」と叫んだとき、パホームは口から血を吐いて息絶えた。彼の下男はシャベルを取って穴を掘り、この男を土に埋めた。きっかりその穴の大きさだけの土地が、彼が必要な土地のすべてであった。』
振り返れば、日本経済は昭和三十九年東京オリッピックを契機にすさまじい勢いで高度経済成長の波に乗った。その間石油ショックなどで、一時期エネルギーの浪費や物資の無駄遣いを反省する気運も出たが、省エネを初めとする体質強化に努めた結果、この高波を僅か一,二年で乗り切ってしまった。その後第二次石油ショックに見舞われ一進一退を繰り返しながらも、大筋では上昇の一途をたどり、ついに昭和六十年代、バブル景気となり史上最高の繁栄を迎えた。しかしその後恐るべき混乱の坩堝と化したのである。全国の地価は暴騰し、地上げ屋が横行した。一般庶民も株に一攫千金を夢み振り回された。理工学部の卒業生が金融や証券といった生産とは関係のない職を求めたり、リゾート法の後ろ盾を得て、美しい国土はゴルフ場と底の浅いレジャー施設となり滅茶苦茶にされた。要するにすべては金、金、金の狂った時代となったのだ。戦後の経済成長の末、大量生産大量消費型の世界経済大国になったとき、国の指導的立場にあった人が人間の生き方、今後の人類社会の進むべき方向を、ひたすら物と金の枠組みでしか考えられなくなってしまったのは日本の将来にとって真に残念なことである。その後失われた二十年と言われる経済低迷の暗黒期が到来し、さらに追い打ちをかけるように、東日本大震災の大津波、福島原子力発電所大事故へと繫がっていった。しかしこれも考えようで、未曾有の不況もこれまでの地に足のつかない生き方を変え、我々の真の幸福とは何かを気付く天が与えたチャンスなのかもしれない。人間とは何か、我々が幸福に生きてゆくために何がどれほど必要なのかを本気で考えるべき時なのである。
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