坐禅の時数息観をすることで考えない状態になると言うが、考えないことは並大抵で出来ることではない。「坐禅して去年の借りを思い出し」という川柳があるが、坐禅など組まず、ごく普通の生活をしていたときの方がよほど考えていなかったということがある。そのくらい「考え」に汚されているのである。人はいつも何かを考え、時に苦しみ、心配している。人間とはそういう生き物なのである。
そこで余計なことを考えない何か良い方法はないか。例えば山登りなど、苦しいスポーツをすると良い。苦しいという思い、ちょっと油断すると転落するかもしれないという気持ち、目の前のことに精神を集中せざるを得ないから、その間余計なことが入ってくる余地はない。考えながらは出来ないので、精神の統一が出来、邪念に邪魔されない。脳トレより筋トレと言った人がいたが、本当である。体を動かすこと、難しい運動をすることで、苦しくて余計なことを考える暇がない、次にすることで頭がいっぱいになって自然に精神が集中し、邪念が入り込まない。 考えない工夫の次は「笑い」である。我々は笑いながら何かを考えることは出来ない。笑いこそ考えないことの特効薬である。岐阜では近年落語の元祖、安楽庵策伝の地として、落語で町おこしをやっている。全国学生落語選手権や各所で落語会が盛んに催されている。目的は町の活性化なのかもしれないが、笑いこそ無心への特効薬なのだから、心身共に健康になりこんな結構なことはない。
次は「言葉」である。言葉は言霊と言われるが、元気が出るような言葉を自分に言い聞かせるときは何も考えない。何か余計なことを考えそうになったら、言葉を発すると良い。知人で最近肺がんを宣告され急遽手術したところ、幸いうまくいって間もなく元気を取り戻された。ある「気功」をやっている人から、「元気になる。元気になる。」と言い続けなさいと言われたそうだ。そいう言葉を発することで気力が増し本当に元気になってくるというのである。また外にもこんな話を聞いた。ある方が事情があって三人の子供を連れて離婚した。そのために住まいが変わり子供の学区も変わるため転校を余儀なくされた。そこで子供と一緒に担任の先生のところへ挨拶に出かけたところ、先生は傍らにあった紙にさらさらと何事かしたため渡してくれた。「強く生きてください。一生懸命生きてください。」と書かれていた。三人の子供を抱えこれからどうして生きてゆこうか、どんなことがあっても子供を守らなければならないと言う必死な思いだったとき、この言葉は逆境を乗り越える大きな力になったそうだ。 |